アンクル・チャッキーの名盤紹介

私が名盤だと感じるCDアルバムを、次々と紹介していくブログです。読者様の心のどこかに引っ掛かって貰えれば、嬉しいです。

ザ・ローリング・ストーンズ『メイン・ストリートのならず者』

久々のロックです。

皆さん、ローリング・ストーンズは、好きでしょうか。

 

世界で一番有名なロック・バンドと言われ、現役最長不倒バンドでもある、とにかく全てがレジェンドな彼らです。作成した名曲も、数知れず。不良っぽさと陽気さを伴って、音楽界を未だ爆走中です。

 

そんな彼らのアルバム作品の中でも、私が一番好んで繰り返し聴いているアルバムが、この『メイン・ストリートのならず者』です。

 

初めに何回か聴いた時には、この作品の良さが、全くと言っていい程わからなかったのです。それでも根気よく聴いていくうちに、ふとツボに嵌まった曲がありました。

それが、「レット・イット・ルース」という曲です。

 

 その前曲、「彼に会いたい(I Just Want To See His Face)」は、なんだかとてもくぐもった曲で、楽曲とも言い難いような、実に不思議な感じなのですが、それを受けてのこの「レット・イット・ルース」という曲は、印象的なイントロから最後までじっくりしっとり聴かせる、まさに名曲なのです。

 

このアルバムには、「レット・イット・ルース」のような名曲が多いのも特長です。LPでは2枚組だったこともあり、曲数が18もあるためでもあるのですが、その他にも「ダイスをころがせ」や「ラヴィング・カップ」、キース節が炸裂する「ハッピー」など、これでもかの名曲オンパレードです。

 

私は、このザ・ローリング・ストーンズを構成するメンバーは、みんなとても明るいのではないか、と思っています。よく、彼らはザ・ビートルズと比較されて、ビートルズの「陽」に対し、ストーンズは「陰」だとみなされたりしたと思われます。

 

しかし私は、どちらかと言えば、ビートルズの方が「陰」で、ストーンズは「陽」なのではないかと思うのです。

どんなに実験的な、サイケデリックな音楽を作っても、どこかはじけきれないビートルズ。それに対し、ストーンズはいつも全開です。

メロディ重視のビートルズに対し、ノリ重視のストーンズ

 

私は、心が弾んでいるとき、若しくは元気になりたいときなどは、ストーンズを聴いて、いつもスカッとしています。きっと、演奏者の心がいつも晴れているから、聴く者に対しても、明るさをもたらすことができるのでしょう。

 

とにかくこのアルバムは、こうした明るさで貫かれているため、最初は私も良くわからなかったのですが、何度も何度も聴き続けることになったのだろうと思います。その「明るさ」は、「パワー」と言ってもいいかもしれません。ストーンズの皆さんは、聴く人に、間違いなく「パワー」を与えているのです。

 

 

私も、仕事を通して、世の中を明るくすることができたなら、これ以上嬉しいことはありません。大好きなミュージシャンの演奏からパワーをもらって、そのパワーを他の人にも与えていく。そんな「循環」の中に、私はいるのだな、と実感する、今日この頃でありました。

 

 

 

メイン・ストリートのならず者(SHM-CD)

メイン・ストリートのならず者(SHM-CD)

 

 

クリュイタンス『フォーレ「レクイエム」』

美しい…。

 

 

最近、外出中にふと耳にした音楽に、私は耳を奪われました。その音楽が、「フォーレ」の作曲した音楽で、何という名前の楽曲だということも、その時は突き止めたのですが、家に着く頃には忘れてしまいました(涙)。

 

ネットで色々情報を調べてみたりはしたのですが、なんせ元情報が少ないので、突き止められず。「あの美しい音楽を、もう一度聞いてみたい…。でもその曲の名前がわからない…。」

 

「…しょうがない。今後、音楽遍歴を重ねていけば、そのうちあの音楽に遭遇することもあるだろう。とにかく、「フォーレ」の音楽を、よく聴くようにしよう。……ん?俺、「フォーレ」1枚くらい持ってなかったか?」

 

持っていました。アンドレ・クリュイタンス指揮。『フォーレ「レクイエム」』。

 

もちろん街で耳にした音楽は、「レクイエム」ではなかったのですが、この「レクイエム」を聴いて、愕然。やっぱり…、

 

美しい…。

 

 

「持っている」、ということは、勿論以前に聴いたことがあったわけですが、その時はこういう感情を覚えなかったんですよね。音楽の経験値が増えたか、人生の経験値が増えたか。

 

このフォーレという方は、フランスの生まれらしいですね。納得するところであります。フランス的、芸術的な美しさを感じます。

 

この、何というか、一音一音に込められた慈しみというか、「レクエイム」ということで、死者の安息を願う音楽なのでありますが、死と生を同価値にしてしまうような大きさというか、まさに何かとても壮大なものの優しさにより包まれているような感覚を覚えてしまう、「神」的美しさと言うのでしょうか。

 

凄いですね。一人の人間が、これ程までに神々しい作品を作り上げてしまえるのですから。人間の底力というものを、感じずにはいられません。

 

人間は、このような作品を作れるのです。なのに、ほとんどの人がこのような作品を、作ろうと思っても作れませんね。何故でしょう。

 

1.作る「能力」が無い。

生まれつきの能力で、音楽の才能が、無かった。これではどうしようもない気がします。…果たして、そうでしょうか。

 

2.作る「努力」をしない。

「能力」が無くても、頑張って、集中して、工夫をすれば、いつかは届くような気もします。「でも、能力が無いから、やっぱり無理。」そう言い捨てる人も、いるかもしれませんね。…でも、本当にそれが一番の理由でしょうか。

 

3.「努力」をする程、「好き」ではない。

私は、これが一番の理由だと思います。「能力」なんて無くても、(そもそも「能力」というものがどんなものなのか、あやふやです)「努力」でいくらでも良いものを作り出すことができていくと思います。でも、努力を続けていくためには、その対象が「好き」だという動機付けが、どうしても必要になっていきます。「好き」というのにも、色んな次元の捉え方があるでしょうが、最終的には、その言葉通りの意味に集約していくと思います。結局、昔の人もそこに気付いていて、「好きこそものの上手なれ」という言葉を生み出したのだと思います。

 

 

仕事も勉強も、「好き」でなければ、続きません。好きなことだけをして生きていくには、この世の中はあまりに窮屈に出来ていますが、少しでも「好き」に近付けていくことはできます。もう少し力を抜いてみて、改めて自分の「好き」を見つめてみては、いかがでしょうか?

 

多分、自分の「なりたい」に、少し近付けると思いますよ~。

 

 

 

 

ノラ・ジョーンズ『ザ・フォール』

ブログ復帰第3弾は、ノラ・ジョーンズです。『ザ・フォール』。

 

この人、一応括りとしては、ジャズの人、ということになるのだろうか。なんせ、ジャズの一大レーベル、ブルー・ノート からCDを出しているのであるから。

 

しかし、分類の難しいアーティストである。

単純に、ポップス歌手としても、普通に通るし、カントリー・ミュージシャンとしても、十分通る。その自作自演のスタイルから、シンガーソングライターすなわちロックの範疇に入れてもおかしくない人である。

 

一番近いのは…、ポップス歌手だろうか…。色々なバックグラウンドを感じる人であるが、多分本人も、アウトプットの段階では、ポップス歌手でいたいと願っているのではないだろうか。

 

ポップである、ということは、より多くの人に好まれる、ということである。ミュージシャンとしては、絶対に持っていなければならない感覚であろう。

 

以前から私は、ミュージシャン、ひいては芸術家が持っていなければならないものとして、「大衆性」が絶対に必要だ、と考えていた。「芸術家」というのも、一つの職業。多くの人に必要とされ、視聴対価として、お金を得なければならない。ならば、多くの人にとってわかりやすいポップさが、その作品の中には必要なのだと思っていた。

 

今でも、そういう思いは無くなったわけではない。ただ…、ポップさというものは、芸術作品の「とっ掛かり」に過ぎない、と、最近思うようになってきた。その作品に見入る、聴き入るための、最初のきっかけとして、その表現のポップさ、というものは、どうしても必要だろう。芸術家たるもの、大衆性を無視することは、職業人として失格である、という考えは、私にとって今も昔も、変わらない。ただ、芸術作品の、やはり本当の真価は、その芸術性にあるのだろう、と思うようになってきた。

 

そんなことは当たり前だ、と思われるかもしれないが、以前の私は、芸術作品の「大衆性」にしか、目が行っていなかった、ということなのかもしれない。その作品のコマーシャルな部分を、その作品の本質だと勘違いしていた節が、あったのかもしれない。

 

自称「音楽聴き」としては、大変な痛手だったとしか、言いようがありません。私が今まで聴き入っていた、「耳にやさしいメロディー」は、TV番組で流れる、1本15秒の「コマーシャル」に過ぎなかったのです(!)。

 

芸術作品には、芸術家が本当に伝えたかったメッセージが含まれています。その点が、芸術作品の「芸術性」ということになるのでしょう。そこを深く感じ取ることが、芸術作品を鑑賞することの、真の楽しみなのでありました。

 

…このことに気付けたことで、これから音楽やその他の芸術作品に接するときに、物事の感じ方が、少し変わるかな?どうなんでしょう。

 

…少し、変わると思います。実際。

 

まず、コマーシャルな部分がほとんどない作品に関しても、偏見無く接することができていく気がします。例えば、フリー・ジャズ。例えば、現代音楽。聴く人が聞けば、雑音にしか聞こえないこのような作品も、優れた作品には、ちゃんと作者のメッセージが、優れた表現方法で、込められているのです。「取っ掛かり」はスムーズに行かないかもしれませんが、ちゃんと魚の一番美味しいところを頂くことは、出来るわけであります。

 

出来るわけであります。

 

できるわけではあります…。

 

 

…が、。

 

…やっぱり、ノラ・ジョーンズくらい、音がポップで、ビジュアルが良いアーティストに惹かれてしまうのは、罪なことでしょうか。

 

どうせジャズやるなら、ノラ・ジョーンズくらい売れて、賞取って、映画の主役なんかもやっちゃってくれよ!、なーんて思ってしまうのであります。

 

 

私の青春の行ったり来たりは、今も続くのでありました。

 

以上。

 

ザ・フォール

ザ・フォール

 

 

クレンペラー『メンデルスゾーン交響曲第3番「スコットランド」&第4番「イタリア」』

 ブログ再開第2弾は…、初のクラシックです。

 

今回のブログでは、クラシックも扱っていきたいなぁ~、と、なんとなく思っていまして、早速ですが、手を出したものです。

 

さて、どう書いていこうか…。

 

クラシックっていうものは、分類のようなものが、細かくなされており、表題には、演奏者と作曲者の名が。その後に、「交響曲」や「協奏曲」といった、楽曲の種類が記載され、そして楽曲のタイトルが付される、といった感じでしょうか。…浅学ですが。

 

私が思うに、クラシック音楽の良いところというのは、模範的な音楽が、良い音楽とされる、非常に素直な点にあると思うのです。例えて言うならば、中学校や高校において、試験の成績がトップだった生徒が一番偉く、人気者の不良生徒は、決して偉くない、ということです。…あくまで浅学によるイメージですが。

 

こういう点が、ロックを教える学校というのが、ほとんど無いのに対して、クラシックに関しては、国立大学まで揃っていることの、一つの理由となるのでありましょう。

 

そういうクラシック音楽を、私は好きなのだろうか…。…どうもはっきりとは、わからないのですね。私は、高校卒業までは、いわゆる模範生徒として生きてきており、その後、大学に入って、超不良学生となるわけでありまして、その落ちぶれていく一端として、ロック・ミュージックがあったのに、異論はありません。

 

落ちぶれたからと言って、今、その原因となったロック・ミュージックを憎んでいる、などといったことは、全くありません。ロックは、私の青春を象徴する音楽であり、誰もが経験する、若気の行ったり来たりを手助けしてくれる、非常に甘酸っぱい、刹那的な、そして魅力的な音楽なのであります。

 

じゃあ、クラシックは??

 

確かに私も、箱2箱に入るくらいのクラシックCDは、持っています。ただ、確実に、「私の」音楽では、なかった。ロックのように、私の気持ちを代弁してくれる、というようなことは、今まで一切無かった。

 

じゃあ、これからは?

 

わからないです。ただ、なんとなーくですが、クラシック音楽が、私の人生を支える一助になってくれるのではないか、という思いがあります。流行や気分によって左右されることのない、「絶対的」に良い音楽。「絶対的」に良い音楽なんて、存在するの?という感じですが、バッハやベートーヴェンモーツァルトが目指したのは、そういう地平だったのだと思います。

 

「模範」が存在することで、「反逆」も成り立つのだと思います。今からでも遅くはない、と思います。「模範」というものが、どのような地平に成り立っているのか。そういうものを、クラシック音楽を通して、少しずつ学び取っていこうと思います。

 

 

と、ディスクガイドが全く疎かになってしまいましたが、今回紹介するメンデルスゾーンの「スコットランド」と「イタリア」は、本当に私好きなのです。

 

それぞれの国の、自然の雄大さを感じるというか、歴史の重みを感じるというか、ヨーロッパの景色を、この音楽を聴きながら、目前に思い浮かべることのできる演奏だと思うのです。作曲者のイマジネーションの豊かさを、大いに聴き取ることができます。

 

 

これからも、お気に入りのクラシックCDなども少しずつ紹介していこうと思いますので、今後ともお付き合い願います。

 

ではでは。

 

 

メンデルスゾーン:交響曲第3番&第4番

メンデルスゾーン:交響曲第3番&第4番

 

 

ウェザー・リポート『ヘヴィ・ウェザー』

再スタート後、初の名盤紹介は、ここからです。ウェザー・リポート『ヘヴィ・ウェザー』。

 

このアルバム、ジャズ史上に燦然と輝く、名盤中の名盤といえます。

 

どのような点が、このアルバムを名盤たらしめてる要素なのか。

一言でいえば、「才能のスパーク」である。

 

このアルバムへの参加者は、以下の通りである。

ジョー・ザヴィヌル(key)、ウェイン・ショーター(sax)、ジャコ・パストリアス(b)、マノロ・バドレーナ(ds)、アレックス・アクーニャ(perc) 。

有名なのは、最初の3人でしょうか。

 

そうなんです。この3人が、凄いんです。

このアルバムでは、ザヴィヌルが「プロデューサー」、パストリアスが「コ・プロデューサー」、ショーターが「アシスタント・プロデューサー」として、名前を連ねています。本作では、5人とも作曲に関わっていますが、この3人がそれぞれ作曲した楽曲が、本当に楽しい、質の高い曲ばかりなのであります。

 

私なんかは、まずはジャコ・パストリアスのスター性に見入り、「ティーン・タウン」(パストリアス作曲)にやられたことから本作にのめりこんでいったわけですが、やはりそこだけが魅力ではなかったこの作品。聴き込んでいくうちに、どんどん魅力が再発見されていく感覚は、なかなか他の作品では味わえません。

 

ウェザー・リポートは、ザヴィヌルとショーターが、その15年間の活動を引っ張ってきた2人であり、ベースとドラム・パーカッションが次々と代わっていったバンドである。ザヴィヌルとショーターという鉄壁に、才能溢れるリズム隊が入れ代わり立ち代わりぶつかっていき、火花を散らしていたバンド、というイメージがあります。

 

ザヴィヌルは、「天才的」という感じがします。今までに存在しなかった語法で、楽曲を作っており、その目新しさは、当時ではもっと驚くべきものだったことが、想像できます。

ショーターは、「音楽的」という感じがします。その類稀な歌心で、聴く者を陶酔に導きます。

 

そして、その2人の壁にぶつかっていった、パストリアス。彼を表現するとしたら、どんな言葉が適切か。「創造的」というには、「破壊的」な部分がある。「大胆」というには、「ナイーヴ」な面がある。「ポジティブ」というには、「悲観的」な部分が、………無い!

 

そうなんです。このパストリアスという人は、ネガティブで、後ろ向きな側面が、どうも見受けられないのである。前だけを見つめて、どんどん突き進んでいこうとする、そんな力強さ、若さのようなものが、多分に感じられるのである。

 

この時点では…。

 

彼はその後、酒とドラッグで精神のバランスを崩し、若くしてその命を落とします。彼の晩年の発言では、「俺は、あのウェザー・リポートに在籍した、世界最高のベーシストだぞ!」というものがあったそうです。過去の自分の栄華ばかりを語るその姿は、当時の様子を知る周りの人々から見たら、痛々しいものであったに違いありません。

 

人生山あり谷ありと、昔から言います。山を登っていくことは苦しいことですが、その先には最高の景色があります。谷を下っていくことは楽なことですが、その先には真っ暗闇が待っています。なかなか難しいですね。

 

では、こういうのはどうでしょう。ものすごーく緩やかな上り坂を、何年も、何十年もかけて登り続けていく。その何十年後かに待っているものが、山の頂上であるわけです。少しだけ辛いですが、わくわくがずっと続く感じで、楽しげじゃないでしょうか。

 

…ちょっと話が逸れてしまいました。

まあ後先に色々あるパストリアスですが、この時期の彼は、彼のキャリアにおいて、やはり最高のパフォーマンスをしていたのではないか、と思うのです。ザヴィヌルとショーターという巨人の肩を借りて、最高に美しい景色を見ていた時期だと思うのです。

 

 

ミュージシャンにも色々なタイプの人がいます。その人の音楽的変遷から、その人がどういう人生を送ってきたのか、想像することもできます。また、ソロで演奏するときと、グループで演るときでは、違った味を出す人もたくさんいます。

 

私なぞは、バンド・サウンドを好む傾向にあるのですが、その理由として、この「才能のぶつかり合い」を聴くことができることが挙げられます。才能ある人の人生が、その時点で偶然にぶつかり合って、奇妙な光を発することがしばしばあり、それを堪能することは、「音楽聴き」としての最高の楽しみの一つなのであります。

 

 

へヴィー・ウェザー(期間生産限定盤)

へヴィー・ウェザー(期間生産限定盤)

 

 

 

ということで、再スタート1発目の名盤紹介を、終えたいと思います。以前このブログを書いていた時の、辛くもあり、楽しくもあった頃の感覚を少し思い出しながら、今回のブログを書きました。まあ、音楽に対する温度感というものは、あまり変わってないかもしれませんね。

 

こんな感じで、これからも名盤を紹介していきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いしまーす。

アンクル・チャッキーの名盤紹介、再開します。

4年半振りに戻ってきました。

 

「アンクル・チャッキーの名盤紹介」、4年半の時を超えて、再開したいと思います。

 

この4年半、色々ありました。その中でも一番大きな出来事は、私の仕事が、「建築」から「音楽」に変わったことです。

今年、2020年のことです。

 

「音楽好き」を吹いていた私が、とうとう「音楽」の世界に身を投じることになったのです。偶然といえば、偶然?必然といえば、必然?

とにもかくにも今は、最高の環境に身を置いていると、自負しています。

 

仕事として「音楽」と接するようになった私が、今また世に数多ある「名盤」を紹介すると、どのようになるのか。どんな違いが生じるのか。

 

それは今まだ私には、判りません。

ただ、昔も今も変わらないことは、「音楽」がとても好きだということです。

なので、文章の中の、音楽に対する情熱は、変わることはないと思います。

 

今後また、少しずつ名盤を紹介しながら、つらつらと一定の長さの文章を書いていきたいと思います。

どのような内容にしていくかは、まだあまり煮詰めていませんが、まあ以前のものとほとんど変わらずにやっていこうとは思っています。

 

この度、再びこのはてなブログのページを見て、未だこのブログの読者様がいるのだということを知り、大変嬉しく思いました。その方々のご気持ちにも応えられるよう、一生懸命文章を書いていこうと思いますので、今後ともどうぞよろしくお願い致します。

 

さあ、次回から物凄く久し振りの、「名盤紹介」、再開しますよ~。

チャック・レイニー『グルーヴの解釈』

 ネタばらしです。このブログにおける、私のペン・ネーム、「アンクル・チャッキー」とは、このアルバムの中の1曲から取っています。

 

このブログを書き始めた、ちょうどその頃、このアルバムを手に入れて、そのあまりのカッコよさに、鳥肌立ちまくりだったため、その勢いで、この名前を使わさせて頂きました。

 

このブログを書いている間にも、私は、ベースを弾こうとしたり、昔からやっていたギターを取り出してみたり、はたまた最近は、未知の世界ドラムに行こうとしたり、何とも節操無くやってきました。でも、息込んで言うだけで、あんまり練習とかしてこなかったんですね。

 

私の仕事は、建築です。30歳で、この仕事を始めました。遅すぎるという声もありましたが、自分のやってみた実感として、あと1年始めるのが遅かったら、本当に「遅すぎた」んじゃないか、と思っています。ギリギリのスタートラインだったと、思います。

 

今までは、趣味としての「音楽」の割合が、まだ自分の中でかなり高かったのですが、そろそろ、もっと自分の仕事の「建築」に、深く向き合っていこうかと、思い始めているのです。勿論、「音楽」は捨てません。自分の中の、重要な位置を占める趣味としての地位は、今後も変わらないと思います。ただ、自分の中の、「建築」の割合を、もっと高めていきたい、と感じ始めているのです。

 

そういう経緯もあり、「アンクル・チャッキーの名盤紹介」、今回で、最終回ということにさせてもらおうかと、思っています。繰り返し見てくれる読者様も、かなりの数いらっしゃるみたいなので、とてもありがたく感じていますが、自分の中の心境の変化が生じて来てしまっているので、今が潮時かな、と思いました。

 

新世代のジャズが産まれるなど、現在の音楽シーンは、どんどん面白くなっています。私も、音楽シーンから、目を逸らすことはしません。こんなにこれからが期待できる業界も、なかなか無い、と思っています。CDは買い続けます。ライブも、通い続けます。音楽教室も、行くかもしれません。自分が、音楽と離れることは、きっとあり得ないことでしょう。

 

今後のブログですが、「建築」のことに関連して、0から仕切り直して、書いていこうかと思っています。ちょっとどういう感じの構成にしていくか、頭の中で練ってから、始めようとは思っていますが、今度は読者様に、「建築」の面白さを、少しでも理解してもらえるような、そんな文章を書いていきたいかな、と感じています。そして、少しでも多くの人に、「建築」というものに興味を持ってもらえたら、などと、考えております。

 

今まで、約1年9か月に渡って続いてきました、「アンクル・チャッキーの名盤紹介」。1回だけ立ち寄って読んで下さった読者様、毎回読んで下さった読者様、色々いらっしゃると思いますが、皆様、本当に、ありがとうございました。読者様がいたから、私はこうやって書き続けることが出来た、と思っています。もう一度言います。本当に、ありがとうございました!

 

 

それにしても、このアルバム、ホントにカッコいいな…。

 

 

 

グルーヴの解釈

グルーヴの解釈