クリュイタンス『フォーレ「レクイエム」』
美しい…。
最近、外出中にふと耳にした音楽に、私は耳を奪われました。その音楽が、「フォーレ」の作曲した音楽で、何という名前の楽曲だということも、その時は突き止めたのですが、家に着く頃には忘れてしまいました(涙)。
ネットで色々情報を調べてみたりはしたのですが、なんせ元情報が少ないので、突き止められず。「あの美しい音楽を、もう一度聞いてみたい…。でもその曲の名前がわからない…。」
「…しょうがない。今後、音楽遍歴を重ねていけば、そのうちあの音楽に遭遇することもあるだろう。とにかく、「フォーレ」の音楽を、よく聴くようにしよう。……ん?俺、「フォーレ」1枚くらい持ってなかったか?」
持っていました。アンドレ・クリュイタンス指揮。『フォーレ「レクイエム」』。
もちろん街で耳にした音楽は、「レクイエム」ではなかったのですが、この「レクイエム」を聴いて、愕然。やっぱり…、
美しい…。
「持っている」、ということは、勿論以前に聴いたことがあったわけですが、その時はこういう感情を覚えなかったんですよね。音楽の経験値が増えたか、人生の経験値が増えたか。
このフォーレという方は、フランスの生まれらしいですね。納得するところであります。フランス的、芸術的な美しさを感じます。
この、何というか、一音一音に込められた慈しみというか、「レクエイム」ということで、死者の安息を願う音楽なのでありますが、死と生を同価値にしてしまうような大きさというか、まさに何かとても壮大なものの優しさにより包まれているような感覚を覚えてしまう、「神」的美しさと言うのでしょうか。
凄いですね。一人の人間が、これ程までに神々しい作品を作り上げてしまえるのですから。人間の底力というものを、感じずにはいられません。
人間は、このような作品を作れるのです。なのに、ほとんどの人がこのような作品を、作ろうと思っても作れませんね。何故でしょう。
1.作る「能力」が無い。
生まれつきの能力で、音楽の才能が、無かった。これではどうしようもない気がします。…果たして、そうでしょうか。
2.作る「努力」をしない。
「能力」が無くても、頑張って、集中して、工夫をすれば、いつかは届くような気もします。「でも、能力が無いから、やっぱり無理。」そう言い捨てる人も、いるかもしれませんね。…でも、本当にそれが一番の理由でしょうか。
3.「努力」をする程、「好き」ではない。
私は、これが一番の理由だと思います。「能力」なんて無くても、(そもそも「能力」というものがどんなものなのか、あやふやです)「努力」でいくらでも良いものを作り出すことができていくと思います。でも、努力を続けていくためには、その対象が「好き」だという動機付けが、どうしても必要になっていきます。「好き」というのにも、色んな次元の捉え方があるでしょうが、最終的には、その言葉通りの意味に集約していくと思います。結局、昔の人もそこに気付いていて、「好きこそものの上手なれ」という言葉を生み出したのだと思います。
仕事も勉強も、「好き」でなければ、続きません。好きなことだけをして生きていくには、この世の中はあまりに窮屈に出来ていますが、少しでも「好き」に近付けていくことはできます。もう少し力を抜いてみて、改めて自分の「好き」を見つめてみては、いかがでしょうか?
多分、自分の「なりたい」に、少し近付けると思いますよ~。