アンクル・チャッキーの名盤紹介

私が名盤だと感じるCDアルバムを、次々と紹介していくブログです。読者様の心のどこかに引っ掛かって貰えれば、嬉しいです。

ノラ・ジョーンズ『ザ・フォール』

ブログ復帰第3弾は、ノラ・ジョーンズです。『ザ・フォール』。

 

この人、一応括りとしては、ジャズの人、ということになるのだろうか。なんせ、ジャズの一大レーベル、ブルー・ノート からCDを出しているのであるから。

 

しかし、分類の難しいアーティストである。

単純に、ポップス歌手としても、普通に通るし、カントリー・ミュージシャンとしても、十分通る。その自作自演のスタイルから、シンガーソングライターすなわちロックの範疇に入れてもおかしくない人である。

 

一番近いのは…、ポップス歌手だろうか…。色々なバックグラウンドを感じる人であるが、多分本人も、アウトプットの段階では、ポップス歌手でいたいと願っているのではないだろうか。

 

ポップである、ということは、より多くの人に好まれる、ということである。ミュージシャンとしては、絶対に持っていなければならない感覚であろう。

 

以前から私は、ミュージシャン、ひいては芸術家が持っていなければならないものとして、「大衆性」が絶対に必要だ、と考えていた。「芸術家」というのも、一つの職業。多くの人に必要とされ、視聴対価として、お金を得なければならない。ならば、多くの人にとってわかりやすいポップさが、その作品の中には必要なのだと思っていた。

 

今でも、そういう思いは無くなったわけではない。ただ…、ポップさというものは、芸術作品の「とっ掛かり」に過ぎない、と、最近思うようになってきた。その作品に見入る、聴き入るための、最初のきっかけとして、その表現のポップさ、というものは、どうしても必要だろう。芸術家たるもの、大衆性を無視することは、職業人として失格である、という考えは、私にとって今も昔も、変わらない。ただ、芸術作品の、やはり本当の真価は、その芸術性にあるのだろう、と思うようになってきた。

 

そんなことは当たり前だ、と思われるかもしれないが、以前の私は、芸術作品の「大衆性」にしか、目が行っていなかった、ということなのかもしれない。その作品のコマーシャルな部分を、その作品の本質だと勘違いしていた節が、あったのかもしれない。

 

自称「音楽聴き」としては、大変な痛手だったとしか、言いようがありません。私が今まで聴き入っていた、「耳にやさしいメロディー」は、TV番組で流れる、1本15秒の「コマーシャル」に過ぎなかったのです(!)。

 

芸術作品には、芸術家が本当に伝えたかったメッセージが含まれています。その点が、芸術作品の「芸術性」ということになるのでしょう。そこを深く感じ取ることが、芸術作品を鑑賞することの、真の楽しみなのでありました。

 

…このことに気付けたことで、これから音楽やその他の芸術作品に接するときに、物事の感じ方が、少し変わるかな?どうなんでしょう。

 

…少し、変わると思います。実際。

 

まず、コマーシャルな部分がほとんどない作品に関しても、偏見無く接することができていく気がします。例えば、フリー・ジャズ。例えば、現代音楽。聴く人が聞けば、雑音にしか聞こえないこのような作品も、優れた作品には、ちゃんと作者のメッセージが、優れた表現方法で、込められているのです。「取っ掛かり」はスムーズに行かないかもしれませんが、ちゃんと魚の一番美味しいところを頂くことは、出来るわけであります。

 

出来るわけであります。

 

できるわけではあります…。

 

 

…が、。

 

…やっぱり、ノラ・ジョーンズくらい、音がポップで、ビジュアルが良いアーティストに惹かれてしまうのは、罪なことでしょうか。

 

どうせジャズやるなら、ノラ・ジョーンズくらい売れて、賞取って、映画の主役なんかもやっちゃってくれよ!、なーんて思ってしまうのであります。

 

 

私の青春の行ったり来たりは、今も続くのでありました。

 

以上。

 

ザ・フォール

ザ・フォール