ウェザー・リポート『ヘヴィ・ウェザー』
再スタート後、初の名盤紹介は、ここからです。ウェザー・リポート『ヘヴィ・ウェザー』。
このアルバム、ジャズ史上に燦然と輝く、名盤中の名盤といえます。
どのような点が、このアルバムを名盤たらしめてる要素なのか。
一言でいえば、「才能のスパーク」である。
このアルバムへの参加者は、以下の通りである。
ジョー・ザヴィヌル(key)、ウェイン・ショーター(sax)、ジャコ・パストリアス(b)、マノロ・バドレーナ(ds)、アレックス・アクーニャ(perc) 。
有名なのは、最初の3人でしょうか。
そうなんです。この3人が、凄いんです。
このアルバムでは、ザヴィヌルが「プロデューサー」、パストリアスが「コ・プロデューサー」、ショーターが「アシスタント・プロデューサー」として、名前を連ねています。本作では、5人とも作曲に関わっていますが、この3人がそれぞれ作曲した楽曲が、本当に楽しい、質の高い曲ばかりなのであります。
私なんかは、まずはジャコ・パストリアスのスター性に見入り、「ティーン・タウン」(パストリアス作曲)にやられたことから本作にのめりこんでいったわけですが、やはりそこだけが魅力ではなかったこの作品。聴き込んでいくうちに、どんどん魅力が再発見されていく感覚は、なかなか他の作品では味わえません。
ウェザー・リポートは、ザヴィヌルとショーターが、その15年間の活動を引っ張ってきた2人であり、ベースとドラム・パーカッションが次々と代わっていったバンドである。ザヴィヌルとショーターという鉄壁に、才能溢れるリズム隊が入れ代わり立ち代わりぶつかっていき、火花を散らしていたバンド、というイメージがあります。
ザヴィヌルは、「天才的」という感じがします。今までに存在しなかった語法で、楽曲を作っており、その目新しさは、当時ではもっと驚くべきものだったことが、想像できます。
ショーターは、「音楽的」という感じがします。その類稀な歌心で、聴く者を陶酔に導きます。
そして、その2人の壁にぶつかっていった、パストリアス。彼を表現するとしたら、どんな言葉が適切か。「創造的」というには、「破壊的」な部分がある。「大胆」というには、「ナイーヴ」な面がある。「ポジティブ」というには、「悲観的」な部分が、………無い!
そうなんです。このパストリアスという人は、ネガティブで、後ろ向きな側面が、どうも見受けられないのである。前だけを見つめて、どんどん突き進んでいこうとする、そんな力強さ、若さのようなものが、多分に感じられるのである。
この時点では…。
彼はその後、酒とドラッグで精神のバランスを崩し、若くしてその命を落とします。彼の晩年の発言では、「俺は、あのウェザー・リポートに在籍した、世界最高のベーシストだぞ!」というものがあったそうです。過去の自分の栄華ばかりを語るその姿は、当時の様子を知る周りの人々から見たら、痛々しいものであったに違いありません。
人生山あり谷ありと、昔から言います。山を登っていくことは苦しいことですが、その先には最高の景色があります。谷を下っていくことは楽なことですが、その先には真っ暗闇が待っています。なかなか難しいですね。
では、こういうのはどうでしょう。ものすごーく緩やかな上り坂を、何年も、何十年もかけて登り続けていく。その何十年後かに待っているものが、山の頂上であるわけです。少しだけ辛いですが、わくわくがずっと続く感じで、楽しげじゃないでしょうか。
…ちょっと話が逸れてしまいました。
まあ後先に色々あるパストリアスですが、この時期の彼は、彼のキャリアにおいて、やはり最高のパフォーマンスをしていたのではないか、と思うのです。ザヴィヌルとショーターという巨人の肩を借りて、最高に美しい景色を見ていた時期だと思うのです。
ミュージシャンにも色々なタイプの人がいます。その人の音楽的変遷から、その人がどういう人生を送ってきたのか、想像することもできます。また、ソロで演奏するときと、グループで演るときでは、違った味を出す人もたくさんいます。
私なぞは、バンド・サウンドを好む傾向にあるのですが、その理由として、この「才能のぶつかり合い」を聴くことができることが挙げられます。才能ある人の人生が、その時点で偶然にぶつかり合って、奇妙な光を発することがしばしばあり、それを堪能することは、「音楽聴き」としての最高の楽しみの一つなのであります。
ということで、再スタート1発目の名盤紹介を、終えたいと思います。以前このブログを書いていた時の、辛くもあり、楽しくもあった頃の感覚を少し思い出しながら、今回のブログを書きました。まあ、音楽に対する温度感というものは、あまり変わってないかもしれませんね。
こんな感じで、これからも名盤を紹介していきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いしまーす。