アンクル・チャッキーの名盤紹介

私が名盤だと感じるCDアルバムを、次々と紹介していくブログです。読者様の心のどこかに引っ掛かって貰えれば、嬉しいです。

《KURT ROSENWINKEL TRIO JAPAN TOUR 2016》

本日、東京駅丸の内口近くの、COTTON CLUBにて、カート・ローゼンウィンケル・トリオの演奏を、聴きに行って来ました。

 

トリオのメンバーは、カート・ローゼンウィンケル・・・ギター、Dario Deidda・・・ベース、Joost Patocka・・・ドラムス、というものでした。

 

一番端っこの席でしたが、主役・カートの全身と、最近気になってるドラムの、左手の動きがばっちり見える、考えうる限りの最高の席でした。

 

何はともあれ、まず、ドラムに目が行ってしまいましたよ。このJoost patockaという人、物凄いジャズ・ドラマーなんじゃないか、と思ってしまいました。

 

今まで、ドラムにそこまで注目して見ていなかったからなのかもしれないのですが、いや、やっぱりこのドラムは凄かった。

 

パワーで押し切ってる感が、全然無いのに、物凄い音なのである。つまり、ほとんど手首のスナップだけで叩いているのだが、それにしても凄い音だった。で、とても気持ちのいい音だった。きっとこのドラマーは、太鼓やシンバルの芯、と言うか打ち所を、完全に理解しているのだろう、と思った。で、その気持ちのいい音を、物凄いスピーディーさで、しかも正確ムヒに叩きまくる。しかもその左手は、まるでドアのノブを回すように、動く。つまり、縦方向のスナップではなく、回転方向のスナッピングなのである。…こういう叩き方って、定石の内なんですか?すいません、自分、全くわかりません。

 

と、ドラムの事ばかり書いてしまったが、ギターも、ベースも、やはり凄かった。特にやはり、今回の主役、カート・ローゼンウィンケルのプレイは、もう神技のオンパレードだった。現代ジャズ・ギターの、トップに君臨するギタリスト、と呼ばれるのも、至極納得の演奏であった。

 

であった…のだが、これくらい凄い演奏になると、逆に色々と要求したくなってしまう、というのは、天の邪鬼だろうか。ちょっと、ポップさが薄かったかな…、とかなんとか。テクニックで言えば、100点。ただ、私はジャズもポップスの亜流だと考えているので、その点で考えると、80点。…これほどのテクニックを見せられると、「すんげぇ~、カッコいい」とは思うものの、「俺には、真似できないな…。」と考えてしまうのも、事実。世界のトップ・プレイヤーなんだから、真似できなくて当然、とも言えるだろうが、ポップスというものは、「自分にもちょっと頑張れば出来そう…」と思わせたが勝ち、なんて私は思っていたりする…。

 

例えば、ピカソの『ゲルニカ』。どうせ描けないのは分かっていても、なんか、描けそうな気がするでしょ?例えば、シャガール。ちょっとドリーミーで、妄想過多の子供なら、描けそうな絵だとと、ちょっと思うでしょ?

 

同じギターで言えば、エリック・クラプトンなんて、まさにそんな感じである。ギターの神様、とまで言われている割には、結構多くの人が、完コピできるレベルの名曲を、いくつも作っている。そこら辺が、日本でも多くのファンを掴んでいる、所以の一つだろう、と思う。

 

カート・ローゼンウィンケルは、確かに現代ジャズ・ギターの最高峰であった。だが、最高峰過ぎて、雲の上の人になってしまっていた。

 

と、カッコよく決めたようで、何となくけなしているような感もあるが、今回のライブ、本当に良かったんです。多分、今まで紹介した生演奏の中で、一番良かったと思います。本当~~に、カッコよかった。さっきも言ったように、出来る子には、色々と要求したくなってしまうのです。

 

 

ということで、今回は、カート・ローゼンウィンケルの、最新オリジナル・アルバムを、紹介しておきます。ジャズ・ギターを学んでいる人なら、彼のこと知らない人はいないかな?今回のライブでも、大学生ぐらいの男3人組など、「それらしい」観客も結構いました。

 

受付で、プレゼントとしてもらった、カート・ローゼンウィンケル・ピックは、宝物にさせて頂きます。あ~、もっとどんどん、ライブ行きたい!

 

スター・オブ・ジュピター(STAR OF JUPITER)

スター・オブ・ジュピター(STAR OF JUPITER)

 

 

『NEW PONTA BOX』

 

NEW PONTA BOX

NEW PONTA BOX

 

 

さて、この愛らしい横顔に、見覚えがあるでしょうか。そうです。「アンクル・チャッキーの名盤紹介」の堂々の第1枚目として登場した、『PONTA BOX』とおんなじアングルの、「ポンタさん」です。見覚えのある人、かなりレア???いやいや、有名なお顔であります。何と言っても、日本を代表するドラマー、村上”ポンタ”秀一の率いる、ジャズ・トリオなんですからね。

 

PONTA BOXに「NEW」が付いた。そう、これは、同じジャズ・トリオではあるが、ポンタさん以外は、PONTA BOX時代とはメンツが替わっている。しかも、前は、ベテラン2人を起用していたが、この「NEW」は、若手を大抜擢している。…なのに…、これはまさしく、名盤である。

 

予め言っておくが、このアルバムは、ほぼ全て「カヴァー」である。『PONTA BOX』が8割方オリジナルだったのに対し、このアルバムは、冒頭の1曲を除いて、全て「カヴァー」。

 

でも、いいんです。特に、ジャズの場合。カヴァーしてなんぼの、音楽なんである。

 

このアルバムでカヴァーしているアーティストは、ハービー・ハンコックスティーヴィー・ワンダー、等。レディオヘッドまでカヴァーしているところに、懐の深さを、感じる。ちなみに、このアルバムでは、ハービー・ハンコックを12曲中4曲もカヴァーしている。ハービー・ハンコックは私も好きなピアニスト・キーボーディストなのですが、やっぱりちょっと他のジャズピアニストとは、違う地平にいるミュージシャンだと思うんですね。ジャズをどんどん進化させていった立役者の一人だと思うのです。日本のジャズをどんどん進化させていった、ポンタさんが共鳴するところがあったというのは、当然と言えば当然と言えましょう。

 

さて、このアルバム、確かにカヴァーばかりで、新味が無いと言えばそう言えるのかもしれないが、そこは、村上氏、そしてベース・石村順、ピアノ兼キーボード・柴田敏弥を含めた、3人の構成力の非凡さにより、単なるカヴァーアルバムを超えた、煌めく1枚に仕立て上げられている。そして、全体を引っ張っているのは、やはり村上氏。この人のドラムの音は、なんと言ったらいいか、なんか「跳ねて」いるんである。特にフュージョン界にごった返している、「テクニシャン」という言葉が、こうも当て嵌まらないトップ・ドラマーというのも、なかなかに不可思議なもんである。言ってみれば、ジミ・ヘンドリックスに近いものがあるかもしれない。ジミもポンタも、技術的には素晴らしいものがあることは、重々承知できるのだが、「テクニシャン」という言葉で片づけてしまうことが、実に勿体ない気がしてしまうのである。技術のための技術ではなく、音楽のための技術なんである。どちらも、こう「広大な」、そして「深淵な」拡がりを持った演奏をする人たちなんですよ。どこか、遠いところに連れて行ってくれる、と言いますかね。

 

そして特に、ポンタには、「茶目っ気」というものがある。いくら歳を重ねても、音楽を面白がる、という態度は、ずっと変わらないようである。私は、ポンタのそういう所が、好きだ。

 

 

私事ですが、私、近々、ドラムを始めるかもしれません。家で練習するのは、自宅の構造上無理であることは、明白な事でありますので、音楽教室に通うことになると思います。ただし、私、音楽教室に通うのは、「初」ではありません。20代の頃、少しだけ通っていました。その時の楽器は、フルート(!)。あの時の感じが、忘れられないのです。月に3回通うだけなのに、仕事にも生活にも、実に「張り」が出ていたのを、覚えています。別にプロになれなくても、お金が貰えなくても、いいんです。音楽とはやはり、楽しんでなんぼのものなんですよ。そして、楽しむためなら、月1万ぐらい、安いもんです。絶対にそれ以上の、費用対効果はあると思っています。私は、音楽教室の回し者ではありません、あしからず。

 

ということで、もし、ドラムを始めることが出来たなら、その経過状況なども、何とか面白く報告していけたらな、とかも考えております。うーん、なかなかに書くネタの多い、ブログになってきたぞ。

 

 

 

(追記)冒頭の「ポンタさん」の横顔を見て、PONTA BOXのCDをジャケ買いしたお方っていますか??私は、あなたの感性が好きです。お友達になってください。

 

 

ロバート・グラスパー『ブラック・レディオ』

「色」シリーズ、急遽、前回で終了とします。理由は、完全に自己都合です。大変申し訳ない。

 

というわけで、今回は、新世代のジャズ・ミュージシャンを紹介します。

 

ロバート・グラスパー

 

音楽業界には、「グラスパー以降のジャズ」という言葉があるらしい。一度は死んだジャズが、また最近息を吹き返していると言う。

 

その評判を聞いて、早速この音楽を聴いてみた。

 

「あ、ジャズだ。」と、思った。私も、ジャズを熱心に聴くようになったのは、ここ最近のことなのであるが、ジャズを「聴こう」と思って聴き始めたのは、大学生の時である。であるからして、「ジャズはこういうものだ」という定義を、言葉に表すことはまだちょっとできないが、耳の感覚的に、「ジャズとはこういうもんだ」と捉えることは、不肖、僭越ながら、出来る、と自分的には思っている。

 

確かに、50年代、60年代、70年代のジャズとは、違うのである。だけど、曲の印象が、「あ、ジャズだ。」だったのである。1990年前後に、イギリスで「アシッド・ジャズ」と言うムーヴメントがあったが、それに近いものを感じるものの、その「アシッド・ジャズ」よりも、より「ジャズ」っぽい気がする。コード進行とか、音楽的なことは、相変わらず分からないので、パス。ただ、熱さとか、落ち着きとか、パッションの大きさのようなものが、昔のジャズと殆ど相似しているように思えたのである。

 

もうちょっとわかりやすくこの音楽を解説してみると、90年代、00年代に勃興した、Hip Hop、R&B的な要素が強い。しかし、そういう要素が強いからと言って、「Hip Hop」というジャンルとして括ったり、「R&B」と言うジャンルで括ったりするよりは、「Jazz」というジャンルで括った方が、収まりが良い音楽なのである。実際、音楽的には、どういう風な違いが、そういう全体の印象の差となって表れるんだろうか。

 

で、もう一つ思ったのが、こういう手法でジャズというものと向き合ってみるとなると、………このジャンル、つまりジャズは、まだ伸びしろがあったんだな、ということである。

 

私は、「フリー・ジャズ」というものが、あんまり好きではない。芸術性は高いのだろうが、大衆音楽として誕生したジャズが、あまりに形を崩して、芸術面を押し出し過ぎてしまっている印象を受けるからである。私は、芸術と言えども、大衆性、つまりポップさを失ってしまったら、それは表現者の自己満足に過ぎなくなってしまうのではないか、という思いを抱いてしまう。芸術家と言うものも、一つの職業である。お金を貰うプロである以上、より多くの人に受け入れられるものを作り出すことが、職業としての芸術家の使命だと思うのである。大衆性を無視して、芸術性だけを追求し始めた芸術家、というものは、むしろ、芸術家としては落ち目だと思うのですね。かのジョン・レノンも、一時期そういうどツボにはまってしまいそうな気がして、ハラハラして聴いていたんですがね。私の生まれる前の話ですが(笑)。

 

さて、ジャズがまだ伸びしろがある、ということに関してであるが、やっぱり「ジャズ」という音楽は、強靭な骨格を持っているんだなあ、と。一時期は、ロックの要素を吸収しながら、生き延びたジャズ。マイルス・デイヴィスが、死の直前にジャズにHip Hopを取り入れた、という出来事があったが、長い沈黙期間を経て、その継承者がようやく現れた、と言ったところだろうか。

 

実際、この音楽は、面白い。この音楽の今後の展開を期待せずにはいられない、何か可能性のようなものを、強く感じる。一時期、「ジャズ的なもの」が世に溢れる時代が長く続いたように思えるが、今の時代に、「ジャズ」というものに真摯に向き合うと、どういう形となって表れるか、ということの答えが、この『ブラック・レディオ』の中には、ある。そして、やはり「ジャズ」は強かったのだ、ということを改めて証明したのが、ロバート・グラスパーだったのである、と思う。

 

非常に数多くの人が、これと似たようなことをして、ジャズの復権を目指していたことは、わかる。わかるが、どうしても、時代の気分に流されてしまっている音楽が多かったように思える。そういう先人たちの積み重ねの努力を基礎にして、まさしく「イマ」という時代の気分に乗せて、「ジャズの復権」を成し遂げてしまった男だと思うのですよ、このロバート・グラスパーは。

 

一点の曇りもなく、「今の時代の『ジャズ』」。ようやく、産まれた。ようやく、出会えた。これからの時代も、「ジャズ」が廃れていくことはないだろう、という確信を持たせてくれた、名盤である。

 

 

 

ブラック・レディオ

ブラック・レディオ

 

 

 

 

マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン『ラヴレス』

  前回は、ライヴ・レポートだったため、1回間を置いての、

 

「色」が主張する名盤 その③

 

です。

 

前回、チラッと、今回は「赤」になるんじゃないか、という余韻を残して終わりましたが、はい、今回は、「赤」です。

 

「赤」の名盤と言えば…、これでしょう『ラヴレス』。

 

桃源郷の音楽である。

 

なんだか、何万回?もダビングして?、制作費が掛かり過ぎてレーベルが倒産した?とか、嘘か本当か、音楽関係者ではない私には、あんまりピンとは来ない逸話が色々とあるようである本アルバムであるが、純粋に、音楽として聞いた時の感想を一言で言うなれば、「とろける…」である。

 

このアルバムの主役楽器は、ギターである。ギターのフィードバック?(すいません、あんまり音楽用語詳しくないんです…。)演奏が、とにかく多用されているようである。エレキを持ってる私としても、こういう演奏は、ただテクニックで何とかなるようなものではなく、アンプだとか、エフェクターだとか、そういう機器的なものの貢献が、多大である、ということは何となく判る。

 

つまり、テクニックで聴かせる音楽では、全く無いんですね。おんなじロックでも、とにかくテクニックで聴かせる類の、例えば、イングウェイ・マルムスティーンとかのハード・ロック、ラッシュなどのプログレッシブ・ロックとは、全く違う地平にあるロックなわけである。

 

以前、このブログで登場した、「環境音楽」という分類が、結構当て嵌まるんじゃないか、と思っている。一般的には、「シューゲイザー」というロックの1ジャンルの、代表的作品とされているアルバムである。

 

何だろうなあ。こういう音楽って、すごく良心的だと思ってしまうわけですよ。つまり、「見せる」ための音楽ではなく、「聞かせる」ための音楽。音楽、特にロックをやる奴なんて、自己顕示欲の塊のような奴らがゴマンといるわけで、いかにカッコよく「見せる」か、そこが彼らの一番の優先事項なわけです。別に、否定はしてません。かっこいいミュージシャンは、本当にかっこいいわけで、そこにちゃんと商品価値はあるわけですから。でも、彼ら、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインの面々は、そういうベクトルは、ほとんど無いのである。ほとんどメディア露出も無いようである。実際は、結構美男美女なんですがね。

 

まあ、というわけで、純粋に耳だけでこの音楽を、判断してみる。はっきり言えば、エレキギターの歪んだ音なんて、聞く人が聞けば、騒音である。工事現場の騒音と、大して変わりはないのである。でも、本当に面白いもので、「耳」というものは、騒音に対しても、慣れてくれば心地良い音として感じられるようになる、優れた身体の部位なのである。これは、私の仕事柄、実際に体験して分かったことである。つまり、ドリルがコンクリートを削る音も、「耳」が慣れさえすれば、心地良い(!?)音にさえ聞こえるようになってしまうのである。

 

つまりですねえ、私がこの『ラヴレス』を初めて聴いたのは、大学生の時だったわけで、その時は、このギターの音が、どちらかと言えば、「騒音」に聴こえてたんですよ。「心地良い」、「心地良い」と宣伝文句で謳ってる割には、「なんか、耳に痛いなぁ…」などと感じていたのであります。

 

10年越しですよ。やっとこの音楽に、「耳」が追い付いてきたわけです。追い付いてみると、本当に、「心地良い」。まさに、「とろける」ような、甘美な音楽だったのです。秋刀魚の本当に美味い部分は、あの苦い内臓部分にあるんだ!と解った時の心境に、似ている。そうか、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインは、意外と大人の音楽だったのか。

 

このアルバムは、持っていて損はないですね。長~く楽しめるアルバムである。何だか掴みどころの無いような音楽に、最初は聴こえるかもしれないが、噛む度に旨みが増してくる、するめいかのようなアルバムだと思っていただければ、まず間違いはない。なんだか、魚介類が頻繁に登場するな…。

 

ということで、今回は、2012年発売の、2枚組、紙ジャケ仕様を。Disc 1とDisc 2の違いが判らん!デジタル・マスターと1/2アナログ・マスターの違いだそうであるが、…違いが判らん!あと10年くらい噛み続ければ、違いが判るようになるかなぁ…。自分の「耳」に期待。

 

 

ラヴレス(紙ジャケット仕様)

ラヴレス(紙ジャケット仕様)

 

 

 

さて、「色」シリーズも、次回くらいで終わりにしますか…。………「黄色」!?なんてあるか???

《Tsukasa New Album ”Live LIFE” 発売記念 Special LIVE》

本日、ザ・プリンスパークタワー東京にて、ヴァイオリニスト、Tsukasaさんのライブを観に行って来ました。

 

…驚きました。

 

こんなに凄いミュージシャンが、日本にはまだまだいるんですね。

 

ホント驚きました。

 

2時間ほどのライブで、長丁場と言えば長丁場だったのですが、「聴かせる」ことで、ちゃんと時間を持たせると言うか。

 

今回のライブを聴いて、一つ発見がありました。

 

よく、日本のミュージシャンよりも、アメリカなどの海外のミュージシャンの方が、意識が高い、などと言われることがあります。実際、私の中でもそんな考えを持っているようなところもあったのですが、…吹っ飛びました。

 

つまり、言語の差、なわけです。

 

別に、その国の言葉が、どんな音楽に乗っかりやすいか、とか、そういう話ではない。今回のライブは、(会場でTsukasaさん作詞の曲を、みんなで一緒に唄うということもあったが、)基本、楽器演奏のみであり、歌がどうだったとか言いたいわけではない。

 

つまり、どんな音楽を演奏する人でも、日本人なら日本語で、アメリカ人なら英語で、物事を考えるわけです。その言語の体系とか、まあやっぱり文化とか社会の違いとかももちろんそうなのだが、そういうことの違いから、日々頭の中で考える物事というものは、当然の如く、違ってくる。そして、音楽というものは、特に感情を表現するようなものだという認識が強くある思うが、感情というものも、結局は、頭の中で考える物事から、産まれてくるのである。で、その頭の中で考えるときに使うものが、その人が日常に使用している、言語なのである。

 

つまり、感情を表現する「音楽」というものが、言語が全く異なる日本とアメリカで、微妙にでも違ってくるのは、当然と言えば、当然なのである。で、今回気付いたのは、そういう音楽の差を、「意識」の差として考えるのは、大間違いであった、ということである。

 

「意識」が高い人と、低い人を比べてもしょうがない。ただ、どの国であっても、トップ・ミュージシャンに要求される「意識」の高さというものは、その内容に違いこそあれ、結局は変わらないのだ、ということが、よく分かった。

 

それで、そのことと同じように感じられるかもしれないが、やっぱり日本人特有の、感情の表現の仕方、音楽表現の仕方、というものがあるのだな、ということも強く感じた。

 

今回のライブでは、演奏されたそのほとんどの曲が、Tsukasaさん自身の作曲であり、とてもポップで、親しみやすい楽曲ばかりだったのだが、やっぱり「日本的な」表現っていうのが、存在するんだなあ、としみじみ。

 

その「日本的」というのがどんなものかと言うと、敢えて表現すれば、繊細で、それであって分かりやすく、しかも親しみやすく、熱さの中にも常に冷静さがある、とでも言おうか。う~ん、結構褒めちぎってるなあ。

 

とにかく、今日のライブは、本当に良かったのです。私も、こんないいライブに毎回出会えてるわけではありません。でも、こういうライブに出会えるから、私はいそいそとライブ会場に足を運んでいくわけであります。

 

今回のライブは、Tsukasaさんのニュー・アルバム発売記念のコンサートだったので、今回は、彼女のニュー・アルバムを紹介しておきます。どの曲も、本当の意味で心に染み入る、名曲、名演奏の宝庫です。是非、お手元に。生演奏を聴く機会がありましたら、本当に彼女のライブに足を運ぶことを、強くお薦めします。

 

 

 

 

Live LIFE

Live LIFE

 

 

イエス『危機』

「色」が主張する名盤 その②

 

 

危機(紙ジャケ SHM-CD)

危機(紙ジャケ SHM-CD)

 

 

 

緑です。「緑」の名盤と聞いて、どれだけ多くの人が、この『危機』を思い出すだろうか。それ程有名な、「緑」の名盤です。

 

 

さて、イエス。日本では結構、人気のあるプログレ・バンドである。このブログでも、ちょろっと登場したことがありましたね。とにかく、メンバー変遷の激しいバンドなので、時期によって音が色々と変化して、飽きずに聴けるバンドであると思う。

 

とは言っても、やはりベストなメンバーの揃っている時期が最も聴きどころなわけで、その時期こそが、『こわれもの』と、今回の『危機』の2枚の時、ということになるわけです。

 

この2枚の時のメンバー~~~ヴォ:ジョン・アンダーソン、べ:クリス・スクワイア、ド:ビル・ブルーフォード、ギ:スティーヴ・ハウ、キ:リック・ウェイクマン、である。

 

ちなみに、ヴォ→ヴォーカル、べ→ベース、ド→ドラムス、ギ→ギター、キ→キーボード、である。全部書くなら、最初から書け。

 

それにしても、…う~ん、穴が無い。まさしく、ベストな顔ぶれである。御大、ジョン・アンダーソンと、リーダー、クリス・スクワイアは、割とずっとこのバンドに在籍しているのだが、ビルとスティーヴとリックが揃うのは、この時だけである。特に、ビル・ブルーフォード…。この『危機』を最期に、バンドを脱退してしまう。後任として、アラン・ホワイトが加入するわけだが、ビルと比べると、どうしても見劣りしてしまう感が強い。

 

このアルバム、プログレッシブ・ロックを代表するアルバムなわけで、収録曲は、たったの3曲。「危機」、「同志」、「シベリアン・カートゥル」、これだけである。曲数が少ないということは、それだけ曲の長さが長いというわけだが(A面は「危機」のみ)、その長さを感じさせない、曲構成の妙。久々に聴いたけど、やっば凄いな、このアルバム。

 

イエスというバンドは、プログレ・バンドの中でも、情緒で聴かせる、というよりは、テクニックで聴かせるバンドである。それだけに、「かっこよさ」を感じる。それぞれの楽器が、有機的に絡み合いながら、曲がどんどん進行していく。全く無駄が無いのである。

 

…それにしても、気持ちいいだろうなあ、と思う。この人たち。それぞれの楽器の名手がこうやって集っているわけで、本人たちにとってみれば、自分以外のプレイヤーも、物凄いプレイヤー達なわけである。実力的に拮抗している人たちが集まっているわけで、自分が最高のプレイをすれば、周りのみんなも最高のプレイで合わせてくれるのである。いや、バンド冥利に尽きると思いますよ、この人たち。バンドなんて、十中八九、実力的にもまちまちで、音楽的にもあまり合わない人同士で組んでしまうような感じが常であるわけで、誰もが夢見る、バンドというチームプレーの、いわば「理想形」を体現してしまっている、この時期のこの5人。バンドマンなんか、よくこんな風に思うわけですよ。「自分が複数人いて、その複数いる自分だけでバンドを組めたらなあ。」なんて。要するに、他人と合わせるということは、非常にストレスがたまるわけである。自分の要求通りに動いてくれる他人なんて、百中九十八九十九いないわけである。バンドマンなんて、常にそういったフラストレーションを抱えながら生きている生き物なんだが、この時期のイエスは、音楽史上でも稀に見る、実に纏まりのある、実力的に偏りのない、いかにもバンドらしい、ありそうでほとんどあり得ないバランス状態の、ロックバンドであったのである。

 

私も以前は、こんなバンドの一員になることに、強く憧れたもんである。おっと、私は別にバンドマンではないですよ。バンドマンというものに、強い魅力を感じる、単なる音楽好きの30代男であるに過ぎない。しかしなあ。男子なら憧れるでしょ。この時のイエスみたいに、自分が凄いプレイヤーの一員になって、チームプレーで物凄いものを産み出していく、みたいな。

 

…というわけで、相変わらずこのアルバムを聴くと、羨望の眼差しを彼らに送ってしまうのだが、とりあえず今回はこの辺で。この、「色」シリーズ、果たしてどこまで続くのか??……次回は、「赤」かなぁ…。

ジョニ・ミッチェル『ブルー』

「色」が主張する名盤 その①

 

 

ブルー

ブルー

 

 

 

青いです。タイトルからして、青いです。

 

ジョニ・ミッチェル、2回目の登場ですね。色々と名盤の多い彼女ですが、全体のバランス、楽曲の良さ、耳馴染みの良さなどから考えて、やっぱり最高傑作と呼べるのが、この1971年発表の、『ブルー』であろう。

 

声がとてもきれいです。声に説得力があります。もしかしたら、彼女のキャリアの中で、最も声質が伸びやかな時期だったんじゃないかと、思われてしまう。

 

…ていうか、ほんとこのアルバムいいなあ。私は、結構若い頃から、名盤集め、というものをしていたわけで、当然この『ブルー』も所有して、よく聴いていたわけだが、最近は他のを聴くのに忙しくて、この盤はしばらくご無沙汰になっていたのだが…。…だが、これは本当に凄いアルバムかもしれない。

 

彼女は、シンガー・ソングライターと言われる。ギターでも、ピアノでも、弾き語りをしてしまうわけだが、特に私の分かる範囲で書けば、ギターの音が半端じゃない。とても、はっきりくっきり弾いている。なんか確か、彼女は、変則チューニングの使い手で、色々なチューニングを使い分けるという、ギターに関して、かなり達者な人物だと、聞いたことがある。

 

女性で、ギターが上手い人って、まあいるんだろうが、あんまり思い浮かばない。…ボニー・レイットぐらいか?オルタナ系では、何人かいたかな?まあ、なんというか、ギターって何となく、激情系の楽器だと思うんですよ。そこら辺が、女性に合わないところかな、とか思ってしまうんだが、やっぱり合う人には合うらしい。

 

ジョニのギターは、しっとりとしている。女性らしい繊細さ、というものも感じられる。ただやっぱり、激情のようなものも、感じ取れてしまう。隠し持った激情、というか。こういう所が、数多の男共をメロメロにさせたんでしょうね。

 

 

このアルバムは、もう全曲名曲と言っていい、本当にクオリティの高いアルバムであるが、敢えてベスト・トラックを選ぶとなると、やはりタイトル曲の、「ブルー」ということになろうか。「ブルー、歌は、刺青のよう」という有名なフレーズで始まるこの曲は、彼女の激情が、最も表れている曲と言っていい。彼女にとって、歌を歌うことは、自分に針を入れているのと同じだ、と歌っているわけである。彼女にとっては、歌を歌うことは、決して楽しいものじゃないのかもしれない。ただ、自分に傷をつけることで、そこから歌詞やメロディーが生まれだすわけで、結局はそれを歌うことが、彼女にとっては、聴き手を、そして自分をも癒す行為になる、ということなのだろう。

 

この世知辛い世の中。自分を上手く癒す方法を知っていないと、すぐに心を病んでしまうような、生きにくい世の中。彼女は、歌を作り、歌を歌い、それを多くの人に届けることが、最高の癒しになっていたのだろう。それを実現させるための、才能、芸術的センスを持ち合わせていた、というのが、彼女にとってとても幸福な事であったと思う。年老いても、なお現役として世界のトップミュージシャンであり続けられる、もう生まれ持ってのアーティストなのである。

 

 

ジョニ・ミッチェル。女性にもモテるんじゃないか、と思ってしまう、その気っ風の良さ。音楽に関しても、やっぱり女性の方が、彼女の音楽を好むんじゃないかな、と思う。

 

と、まあ、こんな感じで、今回は終わりにさせていただきます。是非、聴いてみて欲しいです、ジョニ・ミッチェル。次回は、緑?