アンクル・チャッキーの名盤紹介

私が名盤だと感じるCDアルバムを、次々と紹介していくブログです。読者様の心のどこかに引っ掛かって貰えれば、嬉しいです。

ジョン・コルトレーン『ジャイアント・ステップス』

ジャズに挑戦、之巻。

 

今回は、これまた大物、ジョン・コルトレーン。この人も、名盤の数は数知れず、といった感じである。その中でも、とりわけ名盤と言われる、『ジャイアント・ステップス』を紹介します。

 

まず1曲目が、タイトル曲「ジャイアント・ステップス」である。いかにもジャズ、という出で立ちの曲であるが、よく聴いてみると、思いのほかポップ。何やら複雑なコード進行だとかあるのかもしれないが、その辺は疎い私であるので、パス。ただ、これは非常に耳馴染みのいいポップスであるのかもしれない。そうか、ジャズにもポップなのとそうでないのとあるんだな…。当たり前のことか?

 

1曲飛んで、3曲目「カウントダウン」。最近の某音楽漫画に、登場していたような…。「超、速くね?」とか言われていたような…。確かに……、速い…。なんでこんなに指が速く動くんやねん、と、大阪弁で突っ込みたくなるほど、速い。ちなみに、コルトレーンの楽器は、テナー・サックスです。知ってると、いつか役立つかも?

 

また1曲飛んで、5曲目「シーダズ・ソング・フルート」。タイトルから、フルートが出てくるんだろうな、と思って聴いていると…、……聴いていると?……。……出てこない。…フルート、出てこないやん、と、大阪弁で突っ込みたくなるような曲でした。曲の紹介になってないか?

 

もうこうなったら、更にまた1曲飛んで、7曲目「ミスターP.C.」。このアルバムの最終曲です。さあ、どの辺を大阪弁で突っ込んでやろうか、と思って聴いていると、…テナー・サックスと同様か、それ以上に、ベースの音が際立っている。「ミスターP.C.」というタイトルを見ると、今の時代なら、パソコン文化を揶揄した曲か?とか思ったりもしてしまうが、P.C.とは、ベースのポール・チェンバースのことであるらしい。このポール・チェンバースとは、当時(1950年代頃)のジャズの名盤のベーシストを見ると、そのほとんどがポール・チェンバースである、と言われる程の、強者である。他にいないんかい。…はい、突っ込みました。

 

ちなみに言うと、7曲全部が、コルトレーンのオリジナル曲である。ジャズというと、「スタンダード」と呼ばれる曲群を、執拗にカヴァーする、といった趣があるため、全曲オリジナルなんて、逆に珍しいんじゃないか?と思ったりもしてしまう。というか、逆にこの7曲は、後に執拗にカヴァーされ、「スタンダード」となっていったんだろうな。その辺も、コルトレーンが神格化される、一つの要因といったところか?

 

全体を通して、割とポップかな?と感じたりもするが、どうも、「ジャズのポップさ」というのは、他のと比べてわかりにくいらしい。「ジャズにはツボがある」と言う人もいて、ジャズにはツボ、というか聴き所みたいなのがあって、そういうのが分かってくると、どんどん嵌まり込んでいくらしい。解らないでもないが、まだまだジャズ初心者の自分。ツボが掴み切れず、何となく煮え切らないもどかしさを感じてしまう、というのも事実である。

 

ま、ジャズに関しては、ほんとスローペースで楽しんでいくつもりっすよ。またこれからも、それなりにツボが解ってきた名盤を、少しずつ紹介してくつもりです。お付き合いいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

フリートウッド・マック『神秘の扉』

フリートウッド・マック中期の傑作。

 

…というか、フリートウッド・マックの中期の作品群は、どれもが素晴らしい。アルバム名を記すなら、『ゼン・プレイ・オン』、『キルン・ハウス』、『フューチャー・ゲーム』、『枯木』、『ペンギン』、『神秘の扉』、『クリスタルの謎』が、彼らの中期の作品群となる。これらの作品は、以前は手に入りにくかったのだが、2013年に紙ジャケット仕様でまとめて発売されたため、今では割と簡単に手に入れることができるだろう。どれもが、甲乙の付け難い、良質のアルバムである。

 

その中で、今回このアルバムを紹介するのは、このアルバムの1曲目、「エメラルドの瞳」が今朝、夢の中で流れていた、というだけのことである。「は?」という感じですね、はい。

 

スティーヴィー・ニックスリンジー・バッキンガムがメンバーになる黄金期、ピーター・グリーンを中心にバリバリのブルース・ロックを聴かせていた前期の間に挟まれて、見過ごされがちな時期であるが、このべたべたしないカラっとしたポップセンスは、何度聴いても心地よく体の中に入ってくる。

 

ミック・フリートウッド(ドラムス)、ジョン・マクヴィー(ベース)というこのバンドの屋台骨の上に乗っかって、この時期特に魅力を放っていたのは、ダニー・カーワンとボブ・ウェルチという2人のギタリストである。2人とも後にソロでアルバムを出すことになる、メロディ・メイカーでもある(ちなみに、これらのソロ作品も、紙ジャケ化されているので、要チェック。)。

 

この頃の彼らの音楽を位置付けしてみれば、ロックとポップスの中間ぐらい、と言えるだろうか。ピーター・グリーンが脱退したことで、前期のブルース色は薄れ、彼らがメンバーになったことで、ポップ色が強くなっている。その2人のギタリストに加えて、このバンドに爽やかさを加えているのが、クリスティン・マクヴィーである。彼女の透き通るような歌声は、このバンドの、特にこの時期の、一つの「核」となっている。彼女は、このバンドのもう一人の「屋台骨」である。

 

…まあ確かに、バカ売れするような音楽ではないですよ。「フリートウッド・マック」という、数奇な運命を辿るバンドの経過した一時代であるからこそ、音楽的には特筆するべきところがほとんどないのに、こうやって耳にする機会がある、というだけのことかもしれない。

 

だが…、私は、この時期の彼らが、猛烈に好きなのである。「良心的な」音楽。「奇を衒わない」音楽。「安心して聴ける」音楽。…う~ん、色々と誉め言葉が浮かんで来てしまう…。まあ、こと音楽に関しては、好き嫌いというのは、ほとんど理屈を超えたところにあるような感じもしますけどね。

 

夢の中の話。某バラドルさんが、「私は、フリートウッド・マックが好き。」と言って、私と意気投合するという内容。「バラドル」という言葉が、何とも時代を感じさせる。別にそのバラドルさんのファンとか、そういうの何もないんですけどね。夢に出てくる、ということは、少しは気になっていたんでしょうか…。

 

夢の中にそういう風に出てきたということで、改めて自分はこのバンドが好きなんだなあ、と実感し、こうやって筆をとった次第であります。押し付けがましさの無い音楽なだけに、ついついことあるごとに、この時期のアルバムに手が伸びてしまう。「ポップス」というのは、こういう姿勢であるべきだ、と思うんですよね。つまり、媚びを売るようなキャッチーさで、耳にずかずかと入り込んでくるのではなく、聴き手の方からすり寄っていってしまうような、そういう「安心感」を与えてくれる音楽、というかね。

 

大好きになるかどうかは別として、誰にとっても「拒否」されるような音楽ではない、と思う。そして、一度のめり込めば、どこまでも聴き込める、「深い」音楽である。騙されたと思って、是非ご一聴を。

 

 

 

 

ビル・エヴァンス『ワルツ・フォー・デビイ』

はっきり言って、このアルバムを紹介することに、抵抗があります。

 

紹介したい気持ちは往々にあるのですが、何故か、…何故か抵抗感があるのである。

 

このアルバムは、世界に数多あるジャズのアルバムの中でも、一番人気のある(特に、日本で?)アルバムなのではないか。タイトル曲『ワルツ・フォー・デビイ』の軽妙さ、というか、情感のたっぷりさ、というか。わかりやすく特徴的なメロディなのだが、安い音楽というのとは対極にあるような、気品が漂っている。

 

ジャズを好んで聴く人にとっては、まず基本、と言えるようなアルバムなのだろうが、基本であって、究極ともいえるような気がする。

 

ピアノ:ビル・エヴァンス、ベース:スコット・ラファロ、ドラムス:ポール・モチアンの最強トリオ。…と、言われている。どこら辺が最強なのかとよく聴いてみると、なるほど、3つの楽器が、互いの音を殺すことなく、それぞれにこれでもか、と主張している。

 

なんというか…、絶妙なバランスなんだよなあ。3つの楽器が一斉にソロを弾いている感じなのに、そのそれぞれのメロディラインが、絶妙に絡み合いながら、曲が進行していく、というか…。

 

なんつーか、その、緊張感が物凄いわけですよ。音を聴いてるだけで、びんびんに伝わってくる。すべての音が、あるべきところにちゃんとあるっつーか。その、次に出すべき音を、必死に探しながら、全員が演奏してるというかね。

 

このアルバムは、スタジオ演奏ではなく、ライブ演奏である。きっと、この日の夜は、何かが降りていたのだろう。3人の演奏から伝わってくるのは、「今日の演奏は、凄いことになる。絶対に、凡演で終わらせてなるものか。」という、ある種の使命感と、何者かに対する畏怖の念のような、言葉で言い表せることのできない「何か」を、必死で掴もうとする姿勢である。

 

 

冒頭で、このアルバムを紹介するのに抵抗がある、と言ったが、そういうことなのか、と思う。つまり、言葉で言い表せる表現を、とっくに超えてしまっているわけですよ、この演奏は。なんか、私の場合、ジャズのCDを紹介する場合、いつもそんな感覚を抱いてるわけで…。でも、やっぱり良いアルバムは、こうやって紹介していきたいという思いも強いわけで…。

 

ということで、今回はこれで一杯一杯です。とにかく、「繊細」なんです、この演奏は。「繊細」すぎて、背筋がぞっとするほどなのです。ジャケ写の美しさも含めて、もう全く突っ込みどころのないこのアルバムを、ぜひお手元に置いてみて欲しいですね。

 

 

 

ワルツ・フォー・デビイ+4

ワルツ・フォー・デビイ+4

 

 

 

レッド・ツェッペリン『レッド・ツェッペリン』

ジェフ・ベックエリック・クラプトン、と続き、やっぱりジミー・ペイジで来たか、と思わせておいて、今回語るのは、ジョン・ポール・ジョーンズである。

 

レッド・ツェッペリン…。高校生の時初めて聴き、大学生の時夢中になってどっぷり浸かり、社会人になってちょっと敬遠していたレッド・ツェッペリン。だが、その魔力はやはり強烈なものであった。ここに来て、また私を虜にしようとしている。

 

ただ、視点(聴点??)がちょっと変わった。ジョン・ポール・ジョーンズのベース・プレイに耳が行く。

 

ヴォーカルのロバート・プラント、ギターのジミー・ペイジ、ドラムのジョン・ボーナム。他の3人は、華やかで派手で、実に目立つ。その中で、ひっそりと低音をつま弾く男、ジョン・ポール・ジョーンズ

 

だが、よく聴くと、実にテクニカルなプレイをしているのが分かる。ただ、それを前面に出さない。敢えて、下支えに徹している。

 

ジャコ・パストリアスのようにハーモニクスを使用したり、フリーのようにスラップでゴリゴリ押したりするわけでもない。そういうトリッキーな部分が少ないだけに、話題に登りにくいのかもしれないが、彼のベースは、やたらと耳に残るのである。言うなれば、スター性のある他の3人を上手く持ち上げ、際立たせながら、自分も静かに主張し、実は、最も楽曲の根幹を支えているプレイヤーだったのではないか。

 

 

私は、ギターもアコギ・エレキと持っているが、ベースも4弦・5弦と2本持っている。今までは、ギターをメインに考えていたのだが…。…どうもベースの方が相性がいいようだ。まず、同じフレーズを反復して弾くのが楽しい。これは、ベースを弾くにあたって必須の条件だろう。そして、頑張れば、耳コピできる。ベースは基本、単音弾きの楽器なので、指板上を探せば、音が拾える。これがギターだと、和音が入ってきて、私の単純な音楽脳では把握できないのである。…端的に言えば…、簡単なのである(笑)。(もう一つ言えば、耳コピできるため、スコアを買う必要がなくなる!金の無い私にとっては、何よりのことである。)

 

これから、ベースに嵌まり込んでいきそうな予感が抑えられない私であるが、その際に目標とするべき人、というのを設定したいな、と、 思考を巡らせた後に辿り着いたのが、このジョン・ポール・ジョーンズだったのである。この佇まい…。かっこいいっしょ!

 

…というわけで、これからちょくちょくベース談議が入り込んでくるかも、という予告を残して、今回は去ります。ちなみに、レッド・ツェッペリンを聴いたことない人へ。彼らは問答無用で、ロック界におけるトップバンドです。ビートルズストーンズ?クイーン?…問答無用!!聴き始めようと思った方は、このファーストアルバムから順に聴いていくことを、心から推奨致します。

 

 

 

レッド・ツェッペリン(紙ジャケット)

レッド・ツェッペリン(紙ジャケット)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

デレク・アンド・ドミノス『いとしのレイラ』

ジェフ・ベックに続き、エリック・クラプトンである。次回は、ジミー・ペイジか??

 

名曲の実に多いアルバムだが、やっぱり白眉は、アルバムタイトルにもなっている「いとしのレイラ」だろう。この曲は、数あるロックの名曲の中でも、ベスト10には入る代物ではないだろうか。

 

この曲は、クラプトンが、当時ジョージ・ハリスンの妻だった、パティ・ボイドに恋してしまい、その激情を歌った曲である。そして、その思いが叶い、後にクラプトンとボイドは結婚するにまで至るのである。

 

いや、凄い逸話ですよ。彼はドラッグに溺れた時期もあって、その時のことを「コカイン」という曲で歌ったり、突然の息子の死を乗り越えるために「ティアーズ・イン・ヘヴン」という曲を作るなど、彼の場合、音楽が完全に人生とシンクロしているのである。そして、そのどれもが大ヒット。ここまでくると、う~ん、と唸るしかない。

 

と、同時に、自分にはできない芸当だな、と思ってしまうのである。音楽が好きだからと言って、音楽を仕事にすることが正解とは限らない、ということを、改めて確認してしまうのである。

 

…隠しててもしょうがないことが判り始めたので、ここで言ってしまうが、私の仕事は、建築である。そして、この仕事が好きである。

 

ここ最近の私のブログで、どうも血迷ったところのあった自分であるが、現在は少しではあるが、突破口を見出したところである。今ある自分の状況が、実はそれ程悪い環境ではない、ということに気が付いたのである。自分の努力次第で、前に進んでいくことのできる環境にある、という、甘くはないが、決して辛すぎない事実が判って、とりあえず一安心、といった状態なのである。

 

ただ、やっぱり時間がかかるんだなあ。それなりに一端の仕事人になるには。その一足飛びに行けないもどかしさにちょっと前までもがいていたのだが、よく考えたら、それだけ長くチャレンジ精神を持ち続けることのできる、まあ理想的と言えば理想的な仕事だということが解ったのである。

 

というか、どんな仕事も、一朝一夕に何とかなる仕事なんてないものである。まああるのかもしれないが、そういう仕事は逆につまらないのかなあ、とか思い始めている自分である。それも人それぞれかもしれませんが…。

 

エリック・クラプトンは、ヤードバーズ以来、未だ現役。しかも、常に第一線。こういう姿勢は、真似できるかどうかは別として、見習うべきものだな、と深々と感じ入ってしまう私でありました。

 

名盤です。

 

 

 

いとしのレイラ(紙ジャケット仕様)

いとしのレイラ(紙ジャケット仕様)

 

 

ジェフ・ベック『ワイアード』

仕事の関係上、物凄く暇になってしまった。別に、左遷だとか、そういうことではなく、仕事の関係上。私の仕事に関しては、まあ言う機会があれば、いつか言うかもしれないが、ともかく今はそういうことより、「暇」ということが、重く自分にのしかかっている。

 

私の好きな煙草も、いつもぎりぎりに糸を張り詰めて動いてるから美味いのであって、こうも弛緩した状況にいると、いまいち美味く感じない。

 

私は、「遊ばない」人間だ。一緒に遊ぶ「友達」というのが、ほとんどいないに等しい。CDを聴いて、ロック・ミュージシャンとかジャズ・ミュージシャンとかが、「友達」だとか思っている、割と不憫な人間である。

 

「遊ばない」ということが、いいことなのか、悪いことなのか…。よく、子供の頃なんかは、親に「遊んでばかりいないで、ちょっとは勉強しなさい。」と言われるのが、世の常であるようだが、私はそのような子供ではなかった。ちゃんと家で勉強をする、優等生タイプの子供であった。「遊び」もそれなりにちゃんとしてはいたが、そのほとんどが、友達に誘われて付いていくという、受動的な遊びであった。そして、この傾向が、20代後半まで続く…。

 

 

…と、そうじめじめしててもしょうがないので、家でギターでも弾こうか、と感じ始めている。だが、そこでギターにどっぷり、という風にならないのが、自分の寂しいところ。このジェフ・ベックみたいに、「ギターに全てかけてます。」というような感じになれば、またカッコよくもなるんだろうな、とは思うのだが…。

 

この『ワイアード』は、前作『ブロウ・バイ・ブロウ』に引き続いて、ジェフ・ベックのギターをとにかくフィーチャーした、インストアルバムである。その音楽性から、ロックというより、フュージョンに分類されることもあるアルバムである。

 

ジェフ・ベック…。かっこいいなあ。よく「孤高のギタリスト」と呼ばれる彼であるが、確かにその通りで、いくつかの偉大なバンドは組んでいるのだが、そのほとんどが、アルバム2枚くらいで解散。どのバンドでも、一番目立つ役割を担っているのだが、結局は、音楽性の不和から、ベックはそのバンドを離れてしまう。そして、この『ワイアード』のような、ソロインストアルバムをどんどん作り出していくのである。

 

「孤高の…」というのは、カッコいいかもしれない。ただ、自分の場合、人との関わりをもうちょっと持っていきたい、と感じるのは事実である。特に、私生活。「孤高の私生活」というのは、あまりカッコよくないな…。

 

ジェフ・ベックは、暇な時間さえあれば、常にギターを弾いてるんだろうなあ。つまりそういうのもありということか。自分ももうちょっと、「暇」な時間の使い方を、いろいろと考えていきたいと思う。それでは。

 

 

ワイアード

ワイアード

 

 

ピクシーズ『サーファー・ローザ』

今の自分の気分にピッタリの名盤。

 

自分に「死ね」と連呼したくなる時に聴きたい名盤。

 

はあ、なんで俺はこうも馬鹿なのか。

 

何がどうってわけでもないけどさあ、自分のどうしようもない性癖みたいなものに、いい加減愛想が尽きてきたというか…。

 

このCD、3曲目から4曲目に移るときの感じが、めちゃくちゃ痺れる。

 

ついでに言うと、1曲目から殆ど駄曲なし。

 

それと、自分の今置かれてる状況の歯痒さ。

 

思い通りに生きれる人なんてそうそういないことは解っているが…。

 

そして、7曲目のキラー・チューン。「ホエア・イズ・マイ・マインド?」。大学生の頃、この曲にびりびりに痺れていたことを思い出す。映画『ファイト・クラブ』でも使われた、名曲である。

 

セカンドアルバムの『ドリトル』も、超の付く名盤だが、聴きどころの多さでは、わずかにファーストであるこのアルバムの方に軍配が上がるか。

 

…、まあ、死にゃしないんだけどさ。おいらにはまだ、やりたいことが山ほどあるわけで…。ただ、これくらいの歳になると、ある程度のリスクをしょわなければ、やりたいこともできないわけで…。

 

ちなみに言うと、現行のこの1stアルバムのCDには、彼らのデビュー・ミニ・アルバム『Come On Pilgrim』も丸々収録されている。私は、あまり聴き所は無いな、と思っているのだが、まあ彼らの足跡を知る上では重要かと。

 

がんじがらめの閉塞状態。…という程でもないが…。このイライラ、ソワソワ、ガチガチの状況を、ほんの少し解放してくれるのが、ブラック・フランシスの叫び声なのであった。

 

痺れますよ、本当に。

 

 

…、はあ、大学生の頃と、結局何も変わってないんだなあ、俺…。

 

 

以上です。失礼しました。

 

 

 

サーファー・ローザ&カム・オン・ピルグリム

サーファー・ローザ&カム・オン・ピルグリム