アンクル・チャッキーの名盤紹介

私が名盤だと感じるCDアルバムを、次々と紹介していくブログです。読者様の心のどこかに引っ掛かって貰えれば、嬉しいです。

ビル・エヴァンス&ジム・ホール『アンダーカレント』

ついつい、ジャケ買いしてしまいそうな名盤 その②

 

 

アンダーカレント+4

アンダーカレント+4

 

 

 

またもや、ジャズのアルバムである。

 

このアルバムの登場人物は、2人だけ。ビル・エヴァンスジム・ホールである。2人とも、このブログでは、2回目の登場である。

 

どうだろう、このジャケット。暗い海に、白いワンピースを着た女性が、浮かんでいる。(死んでいる??いやいや、まさかね。)モノクロの写真で、何とも想像力を掻き立てるジャケットである。でも、いったい、どういうシチュエーションなのかね。

 

ビル・エヴァンスと言えば、ジャズ・ピアノ界の最高峰。ジム・ホールと言えば、ジャズ・ギター界の最高峰。この2人が組んだのだから、駄作が生まれる筈がない。

 

事実、このアルバムに溢れる、叙情と言うか、静謐さと言うか、その抑えられた感情は、聴く者の耳を捉えて離さないものがある。ビル・エヴァンスが語れば、ジム・ホールがバックで支える。ジム・ホールが語り出せば、ビル・エヴァンスがメロディックに支える。そして、時に2人は一緒になって、共に違ったメロディーを唄い出すのである。その絡みが、もう何とも言いようもなく、美しい。もうこれ以上ない、絶妙のコンビネーションであると言わざるを得ない。

 

まさに、ジャケットの美しさが、音楽の美しさを際立たせ、音楽の美しさが、ジャケットの美しさを際立たせている。もしこのアルバムをジャケ買いした人がいたなら、その人は、得も言われぬ高揚感を得たことであろうよ。

 

 

さて、ちょっと視点を変えて語ってみるが、ピアノという楽器と、ギターという楽器は、よく似ていると思うのである。どちらもコード楽器であり、どちらもメロディーを奏でることができる。どちらも主役になれるのであり、どちらも脇役になれるのである。

 

多分、世の中で、人気のある楽器の上位2つが、ピアノとギターなのではないだろうか。特に、女の子はピアノで、男の子はギター、みたいな??

 

ただ、どちらも、ちょっとセンチメンタルな楽器なんじゃないかなあ、と思うわけだ。他の楽器、例えば、トランペットとかサックスとか、ドラムやベースなんかと比べると、どうしても繊細さが必要というか、指をちょこまか動かして、感情を細やかに表現する、みたいな?

 

いや、良い悪いを言っているわけでは全然ないのだが、ギターをちょこっとかじった人間としてちょっと感じることは、そういう繊細な楽器にどっぷりのめり込むと、性格まで神経質になってしまうなあ、と思ったり思わなかったりするわけです。なんのこっちゃ。

 

いや、良い悪いを言っているわけでは全然ないのだが、大体ある特定の楽器を始めたいなあ、なんて思う人は、大体その楽器の「イメージ」のようなものを想像して、そこに魅力を感じているのだと思うのであるが、そこにのめり込むと、結構その楽器の性質に沿った性格になってしまうんじゃないかなあ、と思ったり思わなかったりするわけです。

 

だから、そこに自分の性格がぴったり合えば、とてもスムーズにその楽器を楽しめると思うのであるが、自分の性格を無理にその楽器に合わせようとすると、色々と齟齬が生じてしまうんじゃないかなあ、とちょっとだけ感じただけであります。

 

 

なんか、素人考えだし、何が言いたいのかもよくわからないが、まあ、上手くまとめると、ビル・エヴァンスという人は、ピアノという楽器のイメージに、ジム・ホールという人は、ギターという楽器のイメージに、ピッタリと重なるのである。2人とも、その楽器を演奏するために、生まれてきたのだなあ、とつくづく感じ入ってしまう。2人の織り成すジャズ史上に輝くインタープレイを、想像力をいろんな方向に働かせながら聴き入るというのも、またいいものであるし、実際この演奏は、いろんな想像力を掻き立てる魅力に満ち満ちていると、そういうことを言いたいのでありました。

 

 

以上です。是非是非、お手元に一枚。

ハービー・ハンコック『ヘッド・ハンターズ』

ついつい、ジャケ買いしてしまいそうな名盤 その①

 

 

ヘッド・ハンターズ

ヘッド・ハンターズ

 

 

 

ジャケ買い」。皆さんはしたことがあるでしょうか。「ジャケ買い」とは勿論、音楽の内容を知らないで、ジャケットのデザインだけを見て、そのCDを購入するという行為である。

 

「そんなリスクのあることしない」とか、「金がある人のすることだ」とか、色々意見はあるだろうが、これがなかなかに奥が深い。

 

「名は体を表す」と言うが、「ジャケットは音楽を表す」と、言い切れなくもないのである。

 

レコードの時代から、ジャケットデザインと音楽は、セットとして商品化されるようになった。レコードからCDへと媒体が切り替わり、ジャケットのサイズはいささか小さくはなってしまったが、やはり今の時代も、ジャケットと音楽は、不可分の存在として、販売されている。(そこに新しく登場した、ネット配信という方法が、どうやっても私が好きになれない理由の大部分は、勿論ここにある。)

 

ジャケットのデザインの最終決定権は、詳しくはないが、まあ当然そのミュージシャンにあるのだろうと思う。そこでミュージシャンが当然の如く考えるであろうことは、「自分の創り出した音楽のイメージが、そのまま反映されているジャケットがいい。」ということだろう。

 

つまり、想像力のある人がそのジャケットを見れば、何となく直観的にその内容の音楽が判る、という構図である。ま、当然と言えば、当然だが。

 

そこで、今回の、ハービー・ハンコック『ヘッド・ハンターズ』のジャケットを見て欲しい。このジャケットを見て、このアルバムが、ジャズのアルバムだと判断できる人は、どれだけいるだろうか。ましてや、発売当時の1973年には、果たしてどう思われたのだろうか。

 

このアルバムは、彼の代表作の一つであると同時に、フュージョンと言う音楽の代表作の1枚である。フュージョンとは、ジャズを基本に、ロックやファンクなど他ジャンルの音楽的要素を混ぜ合わせたような音楽である。やはりジャズ界の御大、マイルス・デイヴィスあたりが、そういう実験作を作り始めたところから、そのような流れがジャズ界に産まれてくるのであるが、ハービー・ハンコックも、自身の音楽を発展させる手段として、ジャズ音楽に、ファンク、R&B、ソウルなどの要素を取り入れるようになる。ハービーがそのように舵を切り始めた頃の大ヒット作が、このアルバムであったのである。

 

このジャケットを見て、なんかこう、旧態依然としたものに、新しい風を取り入れようとする気概のようなものが、見て取れないだろうか。なんかこう、時代の最先端を行きました、みたいな、なんかこう、作り手の不敵な笑みのようなものが、感じられないだろうか。

 

私自身は、高校生の時、CDショップでこのアルバムと出会い、「これ、買う!」と思いはしたものの、自分の財布の中身と相談してしまい、後ろ髪惹かれつつもその場を去った、という苦い思い出があります。その頃は、ハービー・ハンコックの名前すら知らなかったので、その時購入していれば、私の人生における、ジャケ買い堂々の第1号となっていたのですがね。結局、購入したのは、30代にもなったつい最近のことなのでありました。

 

まあ、何にしても、このアルバムは、素晴らしいです。そして、ジャケットデザインが、見事にその音楽を言い表しています。こういういい音楽は、若い時に聴いておいて絶対損はないと思うので、「あの時購入していれば、また違った感慨を得られたのだろうな…。」と、少しばかり口惜しい気がするのも山々なのでありました。

 

ジャケ買い…。音楽リスナーにとって、こんなに胸躍らせるものも、なかなか無い、と思う。当たるも八卦当たらぬも八卦。でも、完全な運否天賦ではない、作り手のリスナーの、一種の駆け引きである。そして、自分の感覚を信じて、「当たった」ときのあの高揚感…。

 

是非、お金の無い、音楽経験の少ない若い人たちにこそ、味わってほしいギャンブルだと思うのですね。

 

 

 

…よくよく考えると、この「名盤紹介」は、読者のジャケ買いの楽しみを、少し奪ってるとも言える…。…そうとも…、言えるが…、私なんかに追い付かれない位、バンバンとジャケ買いを試してみて欲しいものです。その②も、その③も、やってしまいます!(終わり)

大塚愛『LOVE COOK』

胸の中で、こう、何か灰色っぽい、細い糸のようなものが、モヤモヤ、ウジャウジャして、なんか蠢いているのです。

 

その何とも捉えようの無い、得体の知れない何かが、私にストレスを与え、同時に私を前に進めようと突き動かすのであります。

 

 

…何言ってんだか。

 

 

えー、あけましておめでとうございます。今年1回目の「アンクルなんたらの名盤なんたら」です。

 

初夢を見ました。初夢はいつ見た夢か?というのには、諸説あるようで、31日と1日の夜、1日と2日の夜、2日と3日の夜など、どうも定まっているわけではないそうな。ただ、今日の朝、夢を見ました。内容は、両足に、金剛力士像のような刺青を入れられる、というものです。なかなかいけてるな、とも思ったのですが、世間の目が…、とか、もう銭湯に行けない…、とかいろいろ悩んでたところで目が覚めました。

 

悪夢?とも思ったのですが、ネットで軽く調べてみると、刺青の夢は、決して悪い夢ではないようで、運気がアップしている兆候だとか。

 

ま、1年のスタートとしては、まずまずです。

 

 

さて、今年最初の名盤は、迷わず、大塚愛である(迷ったくせに)。大塚愛…、今は何をしてるやら。最近ほとんどテレビで見なくなった大塚愛であるが、2000年代の10年間を牽引した、平凡そうに見えて非凡な才能の持ち主だと思うのである。

 

真面目くさってこの人のことを語ろうとすると、そのふざけ具合に筆が止まってしまう。だからと言って、おちゃらけ態度でこの人のことを語ろうとすると、このアルバムにも収録されている、「プラネタリウム」のような名曲が流れてくるのだから、困る。

 

この人の場合、この振れ幅こそが、最大の魅力なんだと思う。そりゃあ、誰でもいろんな面を持っているもので、そこが特別なんだと言い切れるわけでもないのだけど…。…なんか凄いんだよ、この人。だって、この人の場合、作詞も作曲も自分でやってるわけでしょ?で、自分で歌っちゃうわけでしょ?まあ、シンガーソングライターなんて、この世に五万といるわけで、そこを突かれると困ってしまうわけだが…。センス?…センスなんだろうな…。

 

誰かが言ってた、気がする。「センスとは、知識と経験の量から生まれる。」とか。…そんな感じなんだよなあ、大塚愛。振れ幅があり、そのどっちの振れ方でもセンスを発揮できるということは、それだけ幅広い知識と経験があるのだろうな、と思ってしまうのである。

 

それにしても…。「プラネタリウム」は名曲だと思う。大塚愛だからこそ作り得た、最高のポップソングだと思う。この言語感覚…、作曲センス…、「凄い」としか言いようがない。

 

いや、他の曲もホントに凄い。詞と曲が凄くマッチしてる。そこはやっぱ、詞も曲も大塚愛が一人で全部やってるからこそなんだろうけど、数多くいる他のミュージシャンの作る曲と比べても、なんか凄い。

 

この人の場合、自分をよく知っているのだと思う。自分をよく観察して、他の人の言葉は真似しない。自分の中から紡ぎだした音楽だからこそ、強いし、光り輝く。

 

人の真似をするのって、簡単なことなのである。これだけ多くの知識や情報が行き交う今の世の中で、人の真似をすることが当然、という感じになってしまっているかもしれないが、こんな時代だからこそ、自分を真剣に見つめる、ということが大事なのではないか。「一人として、同じ人間はいない」とは、昔からよく言うことではないか。だから、本当に自分をよくよく見つめれば、他の誰にも出来ない、自分にしか出来ないことというものが、必ずあるはずなのである。あるはずなのに、途中で自信が無くなって、既存の価値観に迎合してしまう。…実に、実に勿体ないっすねぇ。

 

 

というわけで、そう言ってる自分が他の人の意見に流されていては、どうも格好がつかないので、今年は、自分らしさというものを、なるべく追求していく1年にしたいと思います。良い1年になるか、悪い1年になるかは、結局はその人の心掛け次第だと思うので、「良い1年」を自分で作り出す、くらいの気持ちで、仕事に、趣味に没頭していきたいと思います!

 

 

 

LOVE COOK(通常盤)

LOVE COOK(通常盤)

 

 

はっぴいえんど『風街ろまん』

 おそらく、今年最後の名盤紹介になると思います。最後にふさわしく、日本における伝説的バンドの、伝説的名盤を紹介します。

 

とにかく、メンバーが凄い。大瀧詠一細野晴臣松本隆鈴木茂の4人。後の日本の音楽シーンを牽引していく、大物がずらりと揃っている。

 

大物ばかりだから、どれだけたいそうな楽曲が並んでいるんだ、という感じで聴き始めると、ちょっぴり肩透かしを食らうかもしれない。聴く人によっては、地味すぎて、あんまり好きになれないのかもしれない。

 

実際、私自身も、最初聴いたときは、肩透かしを食らった。大学生の時である。…ただ、今でもことあるごとに棚から取り出して聴いている。そして、聴くたびに発見の多いアルバムである。

 

最近のブログで、私はベースを本格的に始めた、というようなことを書いたが、本格的とは言ったものの、やっぱりあんまりまだ練習できていなかったりする。「耳コピする」というようなこともちょっと書いたが、やっぱりまだ難しい、というか、Amazonでいい本を見つけてしまったので、ついそれを買ってしまった。

 

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ベース・スコア ベーシストが弾きたい超定番曲あつめました。【改訂版】

ベース・スコア ベーシストが弾きたい超定番曲あつめました。【改訂版】

 

 

この3冊、凄いんです。古今東西の名曲が、所狭しと載っている。ベースだけのスコアでこういう本って、あんまり無かったと思うから、もう熟考することなく、即買いしてしまった。本当に、古今東西で、海外、日本のジャズ、ロック、ポップスが、時代を問わず、1冊で40曲くらい載っているのである。その中で、私がまず弾けるようになりたいと思ったのが、「ベーシストが弾けたらカッコいい曲あつめました。」の中の、「風をあつめて/はっぴいえんど」なのであった。この曲の難易度は、★1つ(最高難度は、★5つ)。

 

で、『風街ろまん』の中に、この名曲「風をあつめて」が収録されているわけだが、こうやって実際にベースで弾いてみると、細野晴臣(このバンドのベーシスト)、というか、はっぴいえんどの凄さが、ビンビンに解るのである。

 

今までの私のギターの練習から理解したことは、名曲というのは、実際に楽器で演奏してみると、実に気持ちのいい曲である、ということである。弾き手が気持ちいいから、聴く側も気持ちよく聴ける、という論理である。

 

で、この「風をあつめて」も、ベースで弾いてみると、実に気持ちよかったのである。この曲は、多分はっぴいえんどの曲の中でも、一番有名な曲だと思う。やっぱり名曲というのは、曲の強度が違うな、と思った瞬間でした。

 

「風をあつめて」以外にも、このアルバムに収録されている曲は、本当に名曲が多い(例えば、「夏なんです」や「抱きしめたい」)。全部弾きたくなってしまうが、いかんせんスコアが無いので、まずはとりあえず、「風をあつめて」をマスターします。

 

 

風街ろまん

風街ろまん

 

 

 

 

…ということで、今年の「アンクル・チャッキーの名盤紹介」は、これで最後になります。来年の目標は、あまり偽悪的にならずに、人間らしく生きる、ということです。なんのこっちゃ。まあ、言ってみれば、ちょっとした、癖なんですよ、悪ぶるのが。悪いことをする勇気があんまり無いくせに、まあ無いからこそ、ちょっと悪びれてみたくなってしまったりするのですが、あんまりいいことでもないことが少しずつ判ってきたので、まあ無理はせずに、ありのままの自分で行こうかと。

 

今年、このブログを見てくださった皆様、本当にありがとうございました。来年は、もっとそのアルバムの良さが伝わるようなブログが書けたらな、と思っています。来年もどうぞ、よろしくお願いします。

ヴァン・モリソン『アストラル・ウィークス』

前回のBreak Timeの続きというわけでもないですが…。私は、30代前半で、「大人」というものがどういうものかを、真剣に考えるべきことに自覚的になってきた、というかなったばかりというか、であるわけです。

 

だから、どうしてもまだ、上手く自分の発言や行動を制御できない部分がある、とか、自分の判断力に自信がない、など、色々困った部分はあるわけです。

 

「全てのことが解り切った!」と、意味もなく強気になったり、反面「どうして俺はいつもこう…」と、意味もなく意気消沈したりと、ぐらぐらと揺れ動きながらも、一社会人として、毎日の仕事はきちんとこなしていきたいわけで、言ってみれば、気持ちの切り替えに忙しいわけです。

 

まあ、20代の頃に比べれば、そこら辺の切り替えは上手くなっている?ような気もしはするんですが…。

 

 

ということで、ヴァン・モリソン。この人の醸し出す雰囲気は、「大人」、というか、「おじさん」、というか、「何があっても大して動揺しないんやろな。」というような、不動の力強さを感じさせるわけです。

 

で、彼の数多く発表されているアルバムの中で、特に名盤と言われているこの、『アストラル・ウィークス』。このアルバム、「史上最も売れなかった『名盤』」と、言われているそうな。発売されたのが1968年で、以降「歴史的大傑作」等、様々な賛美の言葉を受けているが、現在までに売れた枚数は、世界中で通算して30万枚前後というお粗末な実績。まあ、売れた枚数が、その音楽の素晴らしさに比例するわけではない、ということは明白なことではありますが…。

 

彼は、アイルランドの出身である。アイルランドから世界に羽ばたいたミュージシャンというのは結構いるが、ヴァン・モリソンは、その中でももう「レジェンド」と言っていいぐらいの存在だろう。U2、エンヤ、ザ・コアーズなどと同様に、彼の音楽を聴いて受ける感覚は、一種の「神秘的な感じ」である。もうこれは、アイルランド特有の土地柄のようなものなのだろう。ケルト神話の世界観が、その土地の人々にも今も宿っている、というような感じである。

 

ヴァン・モリソンの不動の力強さも、元を辿ればこういう所にその源泉があるんだろうな、という気がする。キリスト教とかイスラム教などの宗教を心から信仰している世界の人々は、私たち日本人から見ると、何かある種の「力強さ」を感じないだろうか。信仰が「信念」に変わり、その人の絶対の価値観として根付くために、そのような「力強さ」が生まれてくるのだと思う。

 

まあ、歴史的に見ると、こういう宗教上の信仰の違いから、戦争などいざこざが生じてきたわけで、それが完全にいいことなのかどうかは、色々と論争のあるところではあると思うが、ただ、そういう「信念」を胸に持って生きる、というのは、やっぱり生きていく上で必要なことだと思うわけです。

 

自分の場合、他の多くの日本人と同様、何か特定の神とかそういうものを信仰しているわけではないのであるが、なんというか、そういう「超自然的な」何かが、実際存在しているんだろうな、という感覚は何となく持っているのでありまして、むしろそういうものを絶対的に信じている他の国々の人たちを見ていると、一種の羨ましさのようなものを感じないわけではないのであります。

 

 

 

えー、何か宗教論のような調子になってしまったが、この人の音楽を聴いていると、そういう感覚を抱かずにはいられなくなってしまうのであって、やっぱり単なる「渋い」音楽を超えたところに、彼の音楽はあると思うんですね。この『アストラル・ウィークス』と次作『ムーンダンス』は、彼のキャリアの中でも特に有名な名盤で、是非聴いてみて欲しいアルバムです。とにかく彼は、非常に多作で、私自身もちょっとずつ後の傑作にも手を伸ばしていきたいと思っているところであります。

 

 

「大人」には早くなりたいが、「おじさん」にはまだまだなりたくない、まだまだ揺れ動いている状態の30代男が推薦する、「激渋おじさん」の「激渋アルバム」。是非一度手に取ってみてください。

 

 

 

 

Break Time 5

ちょっと休憩。Break Time。

 

今回は、「成長」と言うことをテーマに、軽く語ってみたいと思います。

 

 

人には、生物学的にも、「成長期」というのがあるっぽい。一般に「成長期」と言われるのは、10代まで?頑張って20代まで?という感じではないか。私はと言えば…、「30代前半」です。はい、そろそろやばいですね。

 

「成長」とは、何だろうか。人間は、子供から大人になっていく、ということを考えれば、「大人」らしい振舞い、ものの考え方、人との付き合い方などを身に付けていくこと、というような感じになっていくのだろう。

 

では、「大人」らしさとは、何だろうか。まあ、一言で言えば、「社会性」ということになるんでしょうね。日本人の場合、20歳で成人、つまり大人として扱われ始めるわけです。通常は、20歳前後で職を身に付け、仕事をする代償として、お金を貰っていくわけです。つまり、「大人」=「働いている人」と考えても、そう間違ったことではないと思うのです。

 

ただ、「働いている人」=「大人」、と、逆にしてみると、どうも収まりが悪い。自分の周りの「働いている人」で、どう見ても子供っぽい人というのが、たくさんいるのではないだろうか。つまり、社会的立場としては、きちんと勤労をして、収入を得ているのだが、振舞い、ものの考え方、人との付き合い方などが、どう見ても子供っぽいと言わざるを得ない人が、どうにもこうにも多いような気がしてならない。特に、20代。

 

そして、私の20代、…はい、どう見ても子供でした。自分を庇護するわけではないが、それもしょうがないことだと思うのです。20歳前後で初めて自分の職を持つのであって、社会の広さも厳しさも知らないまま、「大人」として扱われる。社会人としては、どう見たって「子供」なわけです。

 

まあ、だからと言って、「20歳で『成人』とする。」と謳う、日本国憲法を批判しようとか、そういう今の社会制度を否定するとか、そういう気はさらさら無いのであって、そういう制度は、それなりに整合性のある、理に適ったものではあると思うんですが。

 

つまり、何を言いたいのかというと、20代というのは、非常に複雑だった、と自分でも感じるわけです。自分としては、仕事上「大人」として扱われるわけで、「大人」のように振舞おうとするのだが、中身がどうにもこうにも「子供」なので、人間としては「子供」としてあしらわれてしまう、この矛盾。いやあ、複雑というか、ストレスフルでしたよ、実際。

 

ここで、言っておきたいことがあります。今の時代(、というか昔の時代のことは判りませんが…)、20代というのは、人間的に、まったくと言っていい程、「子供」なのです。そこら辺を、社会的にも、個人レベルでも、理解する必要があると思うんです。

 

だからと言って、もっと優しく扱え、と言っているわけではありません。「子供」は、「大人」になろうと、努力する。まだ「成長」したがっているわけです。そこを無視して、その「若さ」だけを利用して、使い捨てカメラのように扱いがちな、今の社会全体の価値観のようなものを、批判したいわけです。

 

20代は、身体的にも、精神的にも、「成長期真っ盛り」だと思うのです。その中で、ちょっと歪曲したもっと上の世代の価値観を受け入れることが、「成長」することだ、と信じてしまう、20代の若者自身の考えの甘さ、というのもあると思うんです。もっと自分の可能性のようなものを信じて、10代の頃に持っていた社会に対する反骨精神を、実際に実現させてやる、くらいの意気込みを持ってほしいものですね。

 

 

じゃあ、30代は?……これはこれで、実に広がりのある、面白い年代だと思うのだが、今の時点で言えることは、ここまで来ると、身体的、精神的な成長は衰えてくるかもしれないが、「経験」というものが下地になって、方向感覚さえ掴めば、その方向に向かってどんどん「成長」していける、まだまだ面白い、というか実に面白い年代だと私は思っている最中なのである。

 

ま、真っ只中の30代を、全体的に俯瞰するというのは、難しいことかもしれない。40代になれば、また違った視点で、30代というものを語れるようになるんだろう。ただ、40代になっても、50代になっても、60代になったとしても、それぞれに違った「成長の仕方」というものがあるんだろうな、と、現在の時点でボーっと未来を予測しながら、考えている私でありました。

 

 

以上。

ジョニ・ミッチェル『ドンファンのじゃじゃ馬娘』

ジョニ・ミッチェルのアルバムは、どれもが名盤なのだが、今回これを選んだのは、完全に気分である。

 

このアルバムのベーシストは、あのジャコ・パストリアスである。前作と次作、『逃避行』と『ミンガス』にも彼はベーシストとして参加しているのだが、どれも実に、良い。彼のベースの音は、ジョニの歌に実に合っているのである。

 

ジャコ・パストリアスは、ベーシストとして、唯一無二の存在である。ベースの音を聴いただけで、ここまですぐに「この人が弾いている」ということが判ってしまう人は、そういないのではないか。ほんと、ベースという楽器で、ここまで独自性を打ち出せた人は、他にいないといっていいだろう。

 

ジャコと言えば、『へヴィー・ウェザー』を始めとする、ウェザー・リポートでの諸作品、ソロでも(数少ないが)名作を残している。だが、ジョニ・ミッチェルのアルバムに参加したこの3作品も、彼の代表作だと言っていいだろう。

 

ジョニ・ミッチェルと言えば、カナダ出身のシンガーソングライターだが、ジャズにも造詣の深い人物である。特にこのアルバムでは、ジャコを始め、ラリー・カールトン(ギター)、ウェイン・ショーター(サックス)、アイアート・モレイラ(パーカッション)といった、一流のフュージョン周辺のプレイヤー達を贅沢に起用し、ジャズ色を強めているが、そこはジョニの作る音楽。最上級のポップ音楽に仕立て上げられている。

 

その中で、やっぱり一番煌めいてる音が、ジャコのベースなのである。果たして、ジャコのベースプレイを聴いて、ベースを始めた人が、どれだけ多くこの世の中にいるのだろうか。ベースが、曲の主役になることができるのだ、と、どれだけ多くのベース・プレイヤーを励ましただろうか。

 

私も一時、ジャコ・パストリアスが、世の中に数多いるミュージシャンの中で、最もヒップでクールなミュージシャンだとして、ぞっこんになって聴いていた時期があった。…ただ、あまりにその天才性に支えられたプレイを今聴くと、はなから勝負しようという気が起きなくなってしまうのも事実である。真似しようと思っても、到底たどり着けないくらいの境地にいる人なのだな、と思ってしまう。その破滅的な人生も含めて、実に語るべきところの多い、今でも気になってしょうがないベーシストではあるんですけどね。

 

…ということで、ジョニよりも、ジャコを中心に書き進めてきてしまったが、やっぱりこのアルバムの本家本元の主役、ジョニ・ミッチェルは、只者ではないのである。もしかしたら、ミュージシャン(特に女性)の中で、最もリスペクトされている女性アーティストは、このジョニ・ミッチェルなのではないか。若き時代から、すでにベテランの風格。ベテランになってからは、音楽のジャンルを超えた、スーパー・ミュージシャンになってしまったジョニ。ジャコを始めとする、その時代のトップ・アーティストたちを軽々と従えることができてしまったところも、女性たちの羨望の的となったのでありましょう。

 

ただ…、ここまでやられると、自分の場合、ちょっと……。…と、余計なことまで言ってしまいました(笑)。まあ、何は無くとも良い音楽なので、是非聴いてみてください。