アンクル・チャッキーの名盤紹介

私が名盤だと感じるCDアルバムを、次々と紹介していくブログです。読者様の心のどこかに引っ掛かって貰えれば、嬉しいです。

Break Time 2

最近やたら気になるミュージシャン(バンド)その②、をやる前に。

 

一呼吸置きます。

 

Break Time 2。

 

今回は、「仕事」というものを考えてみようと思います。

 

80年代のバブル期に、「日本人の仕事の仕方」みたいなものが、ステレオタイプとして出来上がってしまったように思えますが、暗黒の90年代、混乱の00年代を経て、10年代を半分も過ぎてしまった今、その時の価値観が今も通用すると思い込むのは、時代遅れも甚だしい。

 

時代は確実に変わっています。

 

現在のトレンドをしっかり掴んで、その波にちゃんと乗るようにしないと、サーフボードは引潮に流されて、遥か沖遠くまで行って孤立してしまうことでしょう。そうならないためにも、今の時代に合った「仕事の仕方」を、それぞれの人が自分の中に持っているべきだと、思うのです。

 

ということで、私なりの「仕事の仕方」に対する考えを、少々述べてみたいと思います。

 

まずは、「自分の許容量を知る」ということです。「自分はいくらでも仕事が出来る」と思っている人程、一つ一つの仕事が雑であることが、ままある。こう思い込んでいる人に対しては、人間の心理として、仕事を押し付けたくなってしまう、という傾向があるようだ。で、「自分はこなせる」と思ってしまうから、引き受けてしまう。そして、受け持つ仕事は増える。それが本当に自分のこなせる許容範囲内なら問題は無いのだが、人間が一度にこなしていける仕事量なんて、実はたかが知れている。大抵の場合は、自分の許容量を超え、一つ一つの仕事が雑になってしまうのである。

 

もう一つは、「自分が成長する生き物だということを、理解すること」です。ある、取るに足らないと思える仕事についても、それは、全体の仕事という大きな流れの中で、確実に意味のあるものだ。だが、全体の仕事の流れを掴む、というのが、とても難しいことで、一朝一夕では、これが見えるようにはならない。まず目標に置くべきは、この大きな流れの中での、目の前の仕事の位置づけを知ることである。例えば、単なる資料整理を引き受けたとする。最初は、その資料に何の意味があるのか判らないし、その処理スピードも遅いだろう。だが、それを繰り返して続けていくうちに、「コツ」を掴んで来て、少しずつその意味も判ってくるだろうし、スピードも上がって来る。そして、また別の仕事を受ける余裕が出来る。これが、「成長」ということである。「成長」が速い人も、遅い人もいるだろう。だがこれは、いわゆる「頭がいい」「頭が悪い」とは別の次元の話な気がする。頭、というより、意識の問題ではないか。つまり、簡単な仕事でも、「自分はこんな仕事、さっさと終わらせることが出来る筈だ」なんて、思わない方が無難だ。どんな仕事でも、今の自分のまっさらな状態から向き合って、頭ではなく、体全体で覚えていく、というようなイメージか?

 

そして、もう一つ。「少なくとも仕事中、出来れば私生活でも、気を抜かない」ということです。何も、一日中仕事のことばかりを考えろ、と言ってるわけではない。つまり、仕事、休息、食事、趣味、トイレの時間でも何でもいいのだが、それを全部、意味のあるものにしてしまえ、ということである。どう意味付けするかは、その人の性格だとか年齢だとかによって、本当に様々であろうから一概に言うことは出来ないが、少なくとも私の場合、一つ一つの出来事に真剣に向き合うようにすると、その出来事が楽しいものになってくる、という経験則を持っている。一般的にどう思われているか、なんて関係ないのである。目の前の出来事に対して、自分なりの対応の仕方を身に付け、それを繰り返し、発展させていく。特に仕事のこととなると、誰かが作り出した仕事のやり方を、愚直に模倣してやることが「正しい」ことだと思われがちなのだが、そこに「自分らしさ」というスパイスをちょこっと足すだけで、仕事の楽しさは何十倍にもなるものである。私生活でも同じことが言えるわけで、一つ一つの行動に、少しずつ刺激を与えるようにする。そして、真剣に向き合うような気構えを持つようにする。こうすることで、仕事でも私生活でも、「惰性ではない」毎日を過ごすことが出来る、と、少なくとも私には思えるのであります。

 

まあ、こんな感じで、私みたいな若造でも、ある一定の仕事観というものは持っているもので、こういうものを色々な人と共有出来たらな、と思ったりするわけです。

 

…ところで、序盤の「時代の流れ」みたいな議論と少し乖離してしまったような気もするので、少しそっちの方に話を戻してみたいと思うのだが、今、日本では、ある一つの「目標」があると思うのである。それが、2020年の東京オリンピックである。東京オリンピックとは、ある種の「モニュメント」的なものだと思うが、そういう日本全体の「目標」が出来たことで、日本全体が、ある一定の方向に向かい出した、と感じるのである。「いい世の中」を望まない人はいない。ただ、今までの世の中では、「いい世の中づくり」を、政治家に任せ過ぎていたのではないか。政治家も、何百とある職業のうちの、単なる一つに過ぎない。言ってみれば、単なる調整役である。なんというか、「給料をもらうためのもの」だった自分の「仕事」が、実は「いい世の中を作り出す歯車になる」ということに、少しずつみんなが気が付き始めてるのではないか。1192を作れるのは、幕府だけではなく、商人にも農民にも出来ることだ、という意識が密かに、しかししっかりと出来あがってきてるように思えるのである。

 

2020年まで、あと5年。今、日本は変わりつつある。地面の振動が頻発するくらい、日本は蠢いているのである。

 

…と思うのは、私だけでしょうか?