ニール・ヤング&クレイジー・ホース『ライヴ・アット・ザ・フィルモア・イースト』
一時期、というかかなりの長い期間、ニール・ヤングの生き様に惚れ込んでいた。
激情と儚さの狭間でゆらゆらと揺り動くような、不安定な生き方。成熟することを拒むような強い意志と、結局何も得られないような寂しさ。
この人は、「変わらないこと」を選んだ男である。 ロック界広しと言えど、この人程「ロッカー」(鍵のかかるやつではない)という言葉が似合う人は、いないのではないか。
「変わらない」と言えば、聞こえが悪いかもしれない。この人の音楽スタイルが、目まぐるしい程変遷を遂げてきたことを知る人は、特にそう感じるかもしれない。
確かに、アルバム単位で見れば、この人は、色々なことをやっている(特に80年代なんかは…。テクノだとかロカビリーだとか。)。しかし、肝心の中身が、意識が、物事の捉え方が、変わっていかないのである。だからと言うか…、少ーしずつ、少ーしずつ、「諦め」という要素が、音楽に入り込んで来てしまっている。……ま、誰でも大概、そうなんだけどね。
例えば、ニール・ヤングに凄~い似てると私が感じる、エリック・クラプトンなんかは、「変わること」を選んだ男である気がする。エリック・クラプトンは、実に身のこなしが良い。ヤードバーズから始まり、ブルースブレイカーズ、クリーム、ブラインド・フェイス、デレク&ザ・ドミノス、ソロ活動と、どれも一級の仕事をしている。完全なおじさんになってからも、『アンプラグド』だとか、「チェンジ・ザ・ワールド」とか作っちゃう、ま、とても生き方の巧い人なんだと思うのです。
一方、ヤングさんの方も、確かに、若い時は凄かった。バッファロー・スプリングフィールド、C,S,N&Y、ソロ活動と、こちらもどれも一級品である。「孤独の旅路」で、ビルボード1位も取っている(この曲は、本当に良い……)。
しかし。しかしである。この人は…、「転換点」が見えない!ちなみに、この人も90年代に『アンプラグド』というアルバムを出しているが、クラプトンのそれと比べると、どうしても見劣りがしてしまうのは、私だけだろうか。
何が違うかと言えば…、「枯れた味わい」というか…。なんというか、春の花盛りの木、夏の燃えるような緑の木は確かに良いのである。しかし、秋を経て、枝だけになった冬の木にも、ちゃんと美しさはあるのです、というか。クラプトンはそこら辺をよく心得ている、というか…。
ということで、このCD。ニール・ヤング1970年、夏真っ盛りの頃の伝説的コンサートの模様を、収めています。「ダウン・バイ・ザ・リヴァー」、「カウガール・インザ・サンド」の2曲が入ってるだけでも、もう私にとっては、超名盤なのであります。
この時の輝きを、煌めきを、今もう一度求めるのは、酷というものだろうか。しかし、クラプトンにはできない、ニール・ヤングだからこそできる何かを、心の底で切望してしまうヤング・ファンは、私だけではない筈だ。
- アーティスト: ニール・ヤング&クレイジー・ホース
- 出版社/メーカー: ワーナーミュージック・ジャパン
- 発売日: 2006/11/22
- メディア: CD
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