アンクル・チャッキーの名盤紹介

私が名盤だと感じるCDアルバムを、次々と紹介していくブログです。読者様の心のどこかに引っ掛かって貰えれば、嬉しいです。

山崎まさよし 『HOME』

山崎まさよしが、世に知られるきっかけとなったアルバムである。

 

まあ世に知られるようになる一番の理由は、このアルバム収録の「セロリ」を、SMAPが歌ってヒットさせたことだろう。私はこのSMAPの歌を聴いたとき、「変な歌だなあ」とか思っていた。そのいびつな感じが、SMAPにやけにフィットしていたように感じたが、その後のSMAPのイメージにも、少なからず影響を与えた曲だったんじゃないか?

 

癖のある、歌詞。ちょっと独特な曲調。こういうのを使って、ちゃんと一つの作品として価値のあるものを作り出すのって、実は相当な技量を持っていないと、出来ないんじゃないか、と思う。それと、あの唯一無二の歌いまわし。私は、これがちょっと気になって、ずっと山崎まさよしを避けていた。私は大学で、アコギサークルに入っていたわけで、周りには山崎まさよしをやる者がごろごろいたが、私は「うぇ~」という感じで、避けていた。

 

ただ、その頃、元ちとせ(このブログで何故かよく出てきますね。)が、このアルバム収録の「名前のない鳥」をカヴァーしてるのを聴いて、これはほんとにいい歌だなぁ~、などと感じてはいた。

 

私がこの『HOME』を買って聴いたのは、数年前のことである。それで初めて、まともに山崎まさよしと向かい合ったのであるが、いや、ホントにノックアウトされました。これだけの実力者って、日本ではかなり稀なんじゃないか?と思うくらいだった。つまり、この人は基本、アコギ一本と、その特徴的な歌声だけで、ちゃんと自分の音楽の世界を作り出してしまっているのである。そして、その水準が非常に高い。高いだけでなく、ちゃんとポップさを兼ね備えている。いやぁ~、ホントに凄い人っす。

 

 

不肖、私、最近、改めてギターと向き合ってみようかと感じ始め、前出の「名前のない鳥」を、アコースティック・ギターで練習している。現在の演奏レベルは、59点くらい。…この曲、本当に美しい曲なんであります。ビートルズ「ブラックバード」に次ぐ、私の第2のレパートリーにしようと考えています(大学時代何をやってたんだ、って感じですね)。

 

 

この『HOME』、名曲が本当に多い。有名どころだけでも、「アドレナリン」、「セロリ」、「名前のない鳥」、「One more time,One more chance」と、もう矢継ぎ早である。とってもお得なアルバムである。

 

歌は世に連れ、人に連れ。このアルバムが発表されたのは、1997年である。世紀末に向けて、世の中が混乱に向かい始めていた時代に、音楽業界も、とにかくヒット曲を作りだそうと、躍起になっているような印象を感じていた。その時は気付かなかったのだが、山崎まさよしはそんな時代の中で、ちゃんと良心的な音楽を作り出す、数少ないミュージシャンだったのだな、と改めて感じる。

 

時代に迎合する音楽を作るのもいいですが、やっぱりミュージシャンたるもの、「俺が時代を作る!」くらいの勢いで、音楽を作り出していってほしいものですね。

 

もうそんな人がまた出てきたら、私は喜んで付いていきます!

 

 

 

HOME

HOME

 

 

ロバート・プラント&アリソン・クラウス『レイジング・サンド』

え~、前回は、ライブ・レポート的な感じで、夢のようなひとときを、言葉足らずではありますが、お伝えしました。

 

録音演奏と、生の演奏は、これ程までに別物だったのか、と、眼を開かれた思いであります。

 

今月も、第2弾を既に予定しているので、また、今度は上手く、お伝え出来たらな、と思っています。

 

 

さて、このブログの趣旨は、CDアルバムの、私が名盤だと思うものを、次々と紹介していく、というものなので、今回は元に戻って、ベーシックなスタイルでお送りします。

 

 

ロバート・プラント…。皆さんは、知っているだろうか。今の日本において、どれだけの知名度があるのかは、ちょっとばかし疑問だが、60歳前後の、ちょい擦れオヤジたちにとっては、もう神々しいまでの存在だったりもするんではないだろうか。そうである。このブログでも何度も登場する、伝説バンド、レッド・ツェッペリンの花形ボーカル、その人である。

 

アリソン・クラウス…。皆さんは、知っているだろうか。…私は…、知らなかった(ズドーン)。いや、無名の人だったらまだしも、この人、グラミー賞の受賞数、女性でNo.1だそう。いや、音楽好きで通してきた自分にとって、これはかなりの痛手である(どこが?)。

 

いや、言い訳をさせてもらえれば、グラミー賞というのは、勿論アメリカで設けられている賞なわけで、アメリカの伝統音楽、カントリーとか、ブルーグラスとか、そういうものの評価に、結構重きを置いているのである。まあ、日本で言えば、演歌である。演歌なんて、外人さん、あんまり聴かないっしょ?それとおんなじなんすよ。はは。

 

そうなのである。このアリソン・クラウスという人、カントリーとかブルー・グラス界のディーヴァと言われていて、まあそういう音楽に、今の時代に新しい風を吹かせた、ということで、アメリカでは相当な評価を受けているようなのである。

 

演奏としては、フィドル(バイオリンのこと)などをやるのだが、勿論このアルバムの中でもフィドルは弾いているのだが、なんと言っても彼女の一番魅力的なところは、そのヴォーカルである。

 

透き通るような歌声。…もうこの言葉が、的中しているのである。例えて言うなら、ダーツのブル(一番中心のところ)に、何度ダーツを投げても刺さってしまうような感じである(どういう例えだ)。

 

私自身、彼女の歌声は、弩ストライクでした。こんなヴォーカリストを知らなかったなんて、私は、人生の半分を無駄に過ごしてきたと言って、差し支えないだろう。

 

…やや変なテンションであるが、私は、ロバート・プラントは、男性としては、最高のヴォーカリストと思っているわけで、その彼が、こんなにも美しい歌声を持つディーヴァとコラボした、というだけで、このアルバムは、名盤の域を軽く超えるぐらいなのである。

 

ただ、そういう外面的な事実を無視して、この音楽にちゃんと耳を澄まして聴いてみると…。なんかやっぱり、ひと癖あるんだよなあ、こいつら。伊達に、音楽界のトップを走ってきたわけじゃない、というのが、深々とわかる。

 

つまり、耳馴染みのいい音楽を作るというのは、意外と簡単なことなのである(私は作れないが)。音楽作成の定石を知っているミュージシャンなら、もうちょちょいのちょいであろう。

 

逆に、耳馴染みの悪い音楽を作る、というのも、簡単、というか、まあこういうのは、作品としてのレベルは、あんまり高くないのだろう。

 

この方たちの音楽は、別に、ポップなわけではない。わかりやすい音楽というわけでもない。でも、ただ耳を簡単に通過してしまうだけの音楽、というわけでも、決してない。ところどころで、耳にちゃんと引っ掛かってくるのである。全体像は掴みにくいのだけれど、気が付くと、また今日もCDプレーヤーの上で廻っている。…私はこういう盤を、「名盤」と呼ぶ。

 

 

それにしても…、この2人のヴォーカリスト、なんか雰囲気が似ているんですね。爽やかな風を吹き込む歌声でありながら、どこか激情を隠し持っているかのような、雰囲気。見事に、息ピッタリなのであります。

 

こういうアルバムと出会うことが出来るから、私は名盤漁りをやめられない。音楽の世界は、無限の拡がりを持っているのである。

 

 

ということで、今回はこの辺で。次回も、ベーシック・スタイルで行きます。

 

 

レイジング・サンド

レイジング・サンド

 

 

 

《JAZZ SESSION "Moment"~音楽が生まれる瞬間~》

え~、ちょっと間を置いての、久々のブログです。

 

以前、このブログで、私がニューヨークに行き、「本場のジャズ・クラブに行ってくる!」と言っておきながら、実際にNYに行ってみると、ビビッてジャズ・クラブの門をくぐれなかった、というお粗末な出来事があったことを、軽くお知らせしましたが、覚えている人ももしかしたらいるかもしれません。

 

実は、今日、日本で(渋谷で)、ジャズの演奏を、聴いてきました。私にとって初めての、ジャズの生ライブです。

 

コンサートのタイトルは、今回のブログのタイトルの通りです。

 

場所は、代々木上原の、MUSICASA(ムジカーザ)というところで、ベース・金澤英明、ピアノ・栗林すみれ(敬称略)という、たった2人だけのジャズ演奏でした。

 

ジャズの生演奏を、本格的に聴いたのは初めてだったということもあるのかもしれないが、演奏中ずっと感じていたことは、「…こりゃ、スゲーや…。」というものだった。もう何度も何度も心の中で、連呼していました。

 

この方たち、相当有名な方たちだと思うのだが、私は2人とも知りませんでした(すいません)。栗林(敬称略)の方は、ジャズ界の期待のニュースター、金澤(敬称略)の方は、数々の強者とセッションをし、世界で活躍する大御所のようだ(すいません、知りませんでした。)。

 

この演奏を聴きに行ったのは、ちょうど今日ぐらいが、ライブに行きたいと感じていた日だったのと、4,000円という入場料の安さからでした…。

 

内容は…、4,000円を軽く超えていた…。ジャズの生演奏というものが、こんなに熱いものだとは、想像はしていたものの、軽く想像以上だった。

 

何が凄いって、別にロックのように、ビートを取っているわけでもないのに、体が無意識に動いてしまう、ということである。ロックの8ビート?(ここら辺は、詳しくない)とか、そういう規則的なものがあるわけではない。なのに、演奏されるメロディーの下に、ちゃんとリズムがある。

 

それで、これは「多分」なんだが、即興部分が、かなりあったんだと思う。ジャズというものは、そういうものだと思うから。ただ、どこら辺がはっきりと即興なのか、ちょっと判らなかった。というか、簡単に言えば、即興だったかもしれない部分があったとしても、もう完全に一つの曲として、ほとんどちゃんと完成されていたもののように聴こえた、ということである。即興…、だったんだろうなあ。…だとしたら、ミュージシャンというものは、本当に凄い。音楽を目指したことのある人間として、到底手の届かないところにいるなあ、と深々と感じ入ってしまうのであった。

 

あと、ピアノの栗林は、ピアノを弾きながら、声を出して、メロディーをなぞることがある。何となく、キース・ジャレットを連想させた。そして、乗ってくると、足でリズムを取ったり、椅子から腰を浮かせたりし始める。これが、とても躍動感があり、観てる方も、熱が上がってくる。

 

一方ベースの金澤は、熱くなってくると、指がもう縦横無尽に動く。ベースと言っても、エレキではなく、アコースティックの、ダブル・ベースと呼ばれる方である。もう全身で、低音を矢継ぎ早に紡ぎ出す様子を、私は、ほとんど瞬きもできずに見入ってしまった。

 

途中、「もしかしたら、走ってる(演奏のペースが速くなること)??」と思ったところもあった。その時の高揚感と言ったら!演奏者本人たちも、聴いている人たちも、一体になって熱くなってる!と感じる瞬間が、何度もあった。なんか、家でジャズのCDを聴いているのとは、やっぱり全然違いました。

 

これも、即興ゆえなのかもしれないが、「きて」欲しいところで、ちゃんと「きて」くれる、という嬉しさも感じた。ちゃんと、ツボを押してくれる気持ちよさがあった、と言いますか。そして、曲のクライマックスに向かい、どんどん高揚してきて、最後の一音まで気の抜けない、もう、全部の音を無視できない、という感じであった。あの、アンコールの、「峠の我が家」…。…最高のクライマックスでした…。

 

 

…なんか、初めての体験だったので、なんか上手くまとめられないっす。ただ、とにかく興奮しました。

 

今後も、特にジャズを中心に(今回が、あまりに良かったので)、実際のライブを観に行く機会を増やそうと思っています。そのたびに、ライブレポートでもないですが、感想を述べていけたら、と思っています。

 

あ、ちなみに、今回の出演者の、最新CDアルバムを、以下に紹介しておきます。

 

私も、勿論買います!

 

 

 

TRAVELIN' トラヴェリン

TRAVELIN' トラヴェリン

  • アーティスト: SUMIRE KURIBAYASHI TRIO,栗林すみれトリオ,栗林すみれ,石若駿,木村紘,金澤英明
  • 出版社/メーカー: SOMETHIN'COOL
  • 発売日: 2015/10/21
  • メディア: CD
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Boys featuring SHUN

Boys featuring SHUN

  • アーティスト: 金澤英明,石井彰,石若駿,類家心平,井上銘,高橋佑成
  • 出版社/メーカー: Studio TLive Records
  • 発売日: 2015/04/04
  • メディア: CD
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ザ・ビートルズ『ザ・ビートルズ(ホワイト・アルバム)』

このブログを始めてから、そろそろ1年半ぐらいになります。こうやって大物アーティストの名盤を、次々と紹介してきたわけですが、「なんで、あれを紹介しないの?」というようなビッグ・ネームを、まだまだ全然紹介しきれてなかったりするわけです。

 

その大筆頭、ザ・ビートルズ。そうなんです。ビートルズ、紹介してなかったんです。いや、好きなんすよ、とっても。

 

 

ビートルズの何が凄いって、公式発表曲の213曲、全てが名曲、その上、数々の研究がなされている。ビートルズの研究家って、やたらと多いようです。

 

振れ幅もすごい。このホワイト・アルバムにも収録されている、「オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ」のように、日本語訳されて、幼児番組で流れるような曲もあれば、同じくこのアルバムに収録されている、「レボリューション 9」のように、実験曲というか、現代曲のような、曲とも言えないような曲も作っている。

 

ということで、このアルバムは、数あるビートルズのアルバムの中でも、特にその音楽的振れ幅が大きい。とにかくこのアルバムは…凄い…。4人のメンバーの才能の、ぶつかり合いひしめき合いオンパレードである。ジョージの盟友、エリック・クラプトンも飛び入り参加してるし(「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」)。へヴィメタの原型となった曲もあるし(「へルター・スケルター」)。ジョンが、過去のビートルズの楽曲を揶揄した曲もあるし(「グラス・オニオン」)。オノ・ヨーコのことも出てくるし(「ジュリア」)。リンゴ・スターも、呑気に歌ってるし(「ドント・パス・ミー・バイ」)。

 

とにかく、この、アイデア詰め込み過ぎの、とっ散らかった印象から、昔はちょっと評価が低かったようだが、何を隠そう、ビートルズのアルバムの中で、一番聴き応えがあって、近年、最高傑作との呼び声が最も高まってるのが、この『ホワイト・アルバム』なのである。

 

 

ちょっと話は変わるが、2009年9月9日に、ザ・ビートルズの全作品のリマスター版が発売された。日本でもニュースとかに取り上げられたことで、記憶にある人もいると思う。ここに、「9」という数字が、3つも並んでいるが、「9」という数字は、ビートルズにとって、ある種の「ラッキー・ナンバー」であったようである。前出の「レボリューション 9」にもこの数字は出てくるし、後のジョン・レノンのソロ・アルバム『心の壁、愛の橋』の中の、「夢の夢」も、原題は「#9 DREAM」というものである。

 

ちなみに私は、「3」という数字が、好きである。三角形とかなんか安定感あるし、その割に、三角関係とか、ちょっと危険な感じもするし(笑)。はい、関係ないっすね。失礼しました。

 

 

ザ・ビートルズというバンドは、これから楽器、特にギターを始める青少年にとって、格好の教科書でもある。私が大学時代、ギターサークルに入って、初めて人前で演奏した曲も、ビートルズ(「ひとりぼっちのあいつ」〈『ラバー・ソウル』に収録〉)でした。コード弾きだけだったら、本当に簡単な曲が多いんですよ。そしてちょっとレベルが上がって、ホワイト・アルバムに収録されている、「ブラックバード」の弾き語りも、チャレンジして、人前で演奏しました。今でも、この曲だけは、完璧にできる…。コード弾きのみならず、ソロ部分も難易度がとっても良心的なんですよね。ちょっと挑戦してみたくなる感じ。このバンドは、ギタリストが実は3人(ジョン・ポール・ジョージ〈レッド・ツェッペリンのベーシストではない…〉」いて、その3人のギターの力量に関しては、それぞれに特筆すべきものがあるのです。(ちなみに「ブラックバード」は、ポールが作った曲である。)

 

 

うーん、ビートルズに関しては、やっぱり語るべきところがとにかく多い…。「ロック」という音楽を産み出した功績から、ジョン・レノンの射殺事件まで、もうありとあらゆるエピソードに塗れた人たちであるが、まあ、今回のところは、こんな感じで。この、『ホワイト・アルバム』、最初に聴くビートルズのアルバムとして、実は一番良かったりするんじゃないか?ビートルズの全貌を、ガツンと脳に叩き込むなら、意外とこれが良かったりするのかもしれない。

 

…いや、やっぱ『パスト・マスターズ』かなぁ…(ちょっと弱気)。

 

 

ザ・ビートルズ(ホワイト・アルバム)

ザ・ビートルズ(ホワイト・アルバム)

 

 

Break Time 6

仕事も私生活も一段落したところで(してるのか?)、ちょっと休憩します。

 

ボー。

 

ボー。

 

ボー……シ?

 

ボーシ?

 

帽子?

 

ファッション? 

 

ファッションか。

 

「ファッション」について、語ります。

 

 

…この俺が?

 

このダサい俺が?

 

はっきり言って、私のファッションレベルは、100あるとしたら、その中の32くらいである。

 

そんなにレベルが低いのも、そもそも色気づくのが遅すぎた、ということも原因しているだろう。

 

私の育った家庭では、親が、子供にお洒落をさせる、という概念が無かった。小学生の頃は全く気付かなかったのだが、中学くらいになると、周りの男たちが、結構値を張りそうなものを着てたりするのを、少し知覚するようになる。だからと言って、ファッションに凝ろうとは、夢にも思わなかった。高校くらいになると、学校にサングラスを持ってきたり、まあ茶髪全盛の時代だったし、茶髪を始めるような男がわんさか出てくるようになる。で、私はというと、そういう男たちに何となく引け目を感じつつ、自分の頭を染めるようなこともせず、お洒落と言っても、学生服のボタンを2つ開けるくらいの、そんな些細なことぐらいしかしていなかった。

 

この時点では、まったく色気づいていない。ここに男しか登場しないのも、男子校だったからである。

 

ただ、大学ともなると、事情がちょっと違ってくる。入学式の隣の席が、女性だったのである。ありえない状況でしたよ…。

 

とまあ、大学にもなれば、浮いた話もそれなりに出てくるわけである。そんな中で、ようやく、自分の服装というものにも、神経が行くようになったわけである。まあ、大学って私服だし。(当たり前だ)。

 

ただ、それまで全くファッションに気を配っていなかった私が、いきなり私服の大公開市場である大学という場所で、対抗ができる筈もなかった。まあ、対抗しようという気も起きなかった、というのも事実ですが。元々、ファッション意識の低い人間だったのである。

 

…とまあ、何が言いたいのかというと、30も超えた今、ファッションというものも、ちゃんと気を配っていきたいな、と強く感じている、ということである。いや、今までだって、それなりに気を配ってるつもりではいたのだが、今振り返ってみると、いかんせんレベルが低い。レベルが低くて困った、ということは無かったので、結局そのままで来てしまったのだが、やっぱもちっとお洒落がしたい。金銭上の制約から、服に金をかける、ということはどうしても出来ないが、自分のスタイルを確立、とまではいかなくても、街ですれ違う人に、「お、いけてるな」と、2,3人に思われるぐらいにはなりたいな~、と感じるわけです。

 

それにしても、街行くすべての人々の服装が、みんなお洒落に見えてしまうのは、なぜだろうか。みんな、お洒落には気を使ってるんだな~、と思ってしまう。私は、他人の目から映る自分の姿というものを、未だに客観的に把握することが出来ていないので、果たして自分はお洒落に見えているのか、それとも果てしなくダサく見えているのか、ということが分からない。

 

分からないが、多分、自分でお洒落だと思っていれば、それでいいんだろうな…。まあなるべく、「これはダサいだろ」と自分で思う服装で、外には出ないように気を付けよう。

 

 

ということで、ちょっとだけ軽い内容の、Break Time 6でした。もちっと軽い気持ちで、文章が書けるようになりたい、私でありました。

デヴィッド・ボウイ『ステイション・トゥ・ステイション』

お亡くなりになってしまいました。デヴィッド・ボウイ様。

 

非常に残念なことではありますが、彼の残した足跡というものは、とても価値のあるものばかりで、「グラム・ロック」という一時代を築き、その後もアメリカン・ソウルに接近した時期、ベルリン時代と呼ばれる、ブライアン・イーノと組んだ諸作を経て、『レッツ・ダンス』というヒット作を出すまでの彼は、もう「完璧」という言葉がぴったり当て嵌まるような、キャリアであったと思う。

 

 

その中で、今回『ステイション・トゥ・ステイション』を取り上げようと思ったのは、何のことはない、いつかこのアルバムのことを書きたい、と思っていたからであり、それが(悲しいことではあるが)こういう形で機会を得た、というだけのことである。

 

このアルバムは、ボウイの中期の最高傑作である、と言われる。ボウイが、アメリカン・ソウル、つまり黒人音楽に接近した時期のことである。

 

デヴィッド・ボウイは、きわめて白人的な人である、と思う。英国人なだけあって、風貌は紳士的(スーツがよく似合う)、知的な雰囲気も醸し出している。『ジギー・スターダスト』の頃などは、山本寛斎がデザインした、日本の着物をモチーフにした衣装を着るなど、それこそバリバリに弾けてはいたが、一貫して感じることは、静かな、口数少ない、クールな感触である。間違っても、悪ふざけをしたり、悪ノリしたりする感じではない。

 

そんな彼が、黒人音楽をやるとどうなるか。

 

その答えの全てが、1曲目の「ステイション・トゥ・ステイション」にありありと顕れている。この、10分12秒の、大曲!もうとにかく、この曲を聴いて欲しい。つまり、ボウイなりのファンクの解釈なのであろうが、ボウイがファンクをやると、こういう風になってしまうのか、という驚きと、不思議な感触に包まれた、名曲でありながら、珍曲である。

 

この曲は、印象的なメロディーが、次々と展開していく、ある意味ジェットコースター曲である。そして、キーとなるのが、「痩せた白人の公爵(シン・ホワイト・デューク)」というキャラクターである。

 

彼は、アルバム毎に、「ジギー・スターダスト」、「アラジン・セイン」、「ダイアモンド・ドッグズ」といった、新しいキャラクターを身に纏い、「デヴィッド・ボウイ」ではない、別の人格として、それぞれのアルバムの世界観を作り出してきた。そこら辺は、俳優としても活躍した、彼の性質の原点であったと思うのだが、そういう演出が、逆に一風変わった彼の特徴となっていた。「戦略」とも言えるのかもしれないが、「次はどんなキャラクターが…。」という期待は、当時のファンにとっては、一大事件であったことだろう。

 

そして、この「シン・ホワイト・デューク」。新しいキャラクターの一つであったに過ぎないが、妙にデヴィッド・ボウイ本人の姿に重なる、キャラクターである。そこには、自分の姿を身に纏ったような、ボウイの姿がある。これはきっと、黒人音楽に触れたことで、改めて「白人である」という、自分の実像というものを観察することが出来たのだろう。

 

 

この「ステイション・トゥ・ステイション」という曲は、意外なところで、レッド・ホット・チリ・ペッパーズの名曲、「カリフォルニケイション」に登場する。「Cobain can you hear the spheres singing songs off station to station」という一節である。「Cobain」とは、1994年に自殺した、ニルヴァーナのボーカル、カート・コバーンのことである。意訳すれば、「ラジオ局で次々と流れてくる君の歌が、天国から聴こえるかい?」というような感じになるのかもしれないが、最後の「station to station」という部分は、深読みすると、デヴィッド・ボウイのこの曲のことを暗に指しているのではないか、と思わずにはいられないのである。

 

片や自殺、片や天寿を全うしたわけだが、両人とも、ロックの一時代を築き、その背負ったものの大きさは、常人には計り知れないものであったと思う。カート・コバーンの自殺の理由としてよく語られるのが、思いもかけず自分が大スターになってしまい、自分のアイデンティティーを維持できなくなってしまったのではないか、というものである。これも深読みに過ぎないが、レッチリは、コバーンに向かって、「何も死ななくてもよかったじゃないか。あのボウイのように、次々と自らを別のキャラクターに着せ換えて、上手く生きていくこともできたんじゃないか?」と、語りかけているようにも見える。

 

 

とにかく、デヴィッド・ボウイがロック界に残した痕跡は、とてつもなく大きかった。音楽も、特別な響きを持った、独特のものだったが、ライブも非常に魅力的なものだったらしい。ミュージシャンの中でも、デヴィッド・ボウイのライブが、今まで見たライブの中で、一番素晴らしかった、と語る人も多いと言う。ライブ映像もいくつか出ているようなので、その魅力を、今でも十分堪能することもできるようだ。

 

時代に風化しない、永遠のアイドル。男の子も女の子も夢中にさせる、妖しい魅力を身に纏った、稀代のスーパースター。

 

彼はもうこの世には存在しないが、彼の作品は、永久にこの世に残る。彼の生き様の記録を、もう目に、耳に、叩き込んでやろうじゃありませんか。天国の彼も、それが一番嬉しいことであるに、違いありません。

 

 

 

ステイション・トゥ・ステイション(紙ジャケット仕様)

ステイション・トゥ・ステイション(紙ジャケット仕様)

 

 

ホワイト・ストライプス『エレファント』

ついつい、ジャケ買いしてしまいそうな名盤 その③

 

 

エレファント

エレファント

 

 

 

さて、どこから語ろうか。

 

えーと、まず、このジャケットを見て欲しい。使われている色は、何色(なんしょく)?

 

そうです。赤、黒、白の3色のみである。まあ、これだけなら、そう珍しいことでもないのであるが、こいつら、もとい、この方たち、デビュー作から、解散に至るまで、約7枚のアルバムを出しているが、それら全てのアルバム・ジャケットが、この3色のみで構成されているのである。この徹底ぶり、というか、アート作品としての、こだわりなんでしょうね。

 

そのどれもが、一つのアート作品として成立するぐらいの、クオリティの高さなのであるが、その中でもこの4作目、『エレファント』のジャケットは、群を抜いている。

 

グラフィック・デザインとか、まあ普通の手書きのデザインとかではなく、写真で、しかも、演奏者本人たちの写る写真で、こうもアーティスティックに1枚の画(え)を仕上げるという力技。まさに、彼らは、自分たちも含めた、全体として統一感のあるアートを作り出そうとしていることが、分かる。

 

そのことを顕す一つのエピソードとして、こいつら、もとい、この方たちが世に出てきた当初は、2人の関係が曖昧、というか謎だった。本人たちは、姉弟関係にあると言っていたが、実は、恋人同士、果ては元夫婦という説まで持ち上がった。で、実際どうだったのか、というと、果ての、元夫婦というのが、実際らしい。が、本人たちは、姉弟というのを、アーティストとしては、通していた。

 

ここら辺の、リスナーを煙に巻く感じ、自分たちの関係まで、アートとして組み込むその心意気。完全に、アイドルではなく、アーティストなのである。

 

 

さて、この2人、ジャック・ホワイト、メグ・ホワイトという名前なのだが、ジャックの方は、若い頃、家具職人として働いていた、という変わった経歴の持ち主である。ちなみに、彼らのセカンド・アルバムのタイトルとなった「デ・ステイル」とは、20世紀前半にオランダで始まった、カラフルな原色と幾何学的造形を用いる、建築、彫刻などの芸術界における一つの様式である。この辺も、そういう彼の生い立ちが、そのままホワイト・ストライプスというバンドのあり方に影響を与えている、と言っていいだろう。

 

 

このバンドの音楽的な面が後回しになってしまったが、簡単に言えば、ブルースを母体にして、21世紀の新しいロックのあり方を提示した、と言ったところか。印象としては、ストーンズとか、ツェッペリンとかの流れを汲んだ、王道ロックの風格を漂わせているが、重厚さだとか、様式美のようなゴテゴテしたものはあまり無く、あくまで印象は、カジュアル。パンキッシュな軽い感じも含んでいる。

 

2人だけのバンドなので、楽器はギター(ジャック)、ドラム(メグ)のみの編成。その割に、隙の無い、説得力のある演奏。もう、抜群のセンスなんでしょうね。ジャックのボーカルも、かなり個性的で、高音域の、声がひっくり返る感じまでカッコよく聴かせてしまう、強者である。

 

彼らの音楽を語る上で、そのユーモア感覚というのも、見過ごせない一面である。真剣に演奏していることに変わりはないのだが、その中に滲み出るユーモア、というか、やっぱり結局はセンスなんでしょうね。聴いている人を嫌な気にさせない、遊び心のようなものが、多分に含まれているのです。

 

 

もう、こいつら、もとい、この方たちは、グラミーも次々獲得して、21世紀のアメリカを代表するロック・バンドにもなってしまったわけだが、私が、最初に彼らに惹かれ始めたきっかけは、やはりこの『エレファント』のジャケットからであった。なんかこう、ストーリーを想像させる2人の佇まい。なぜ、女の子は泣いているのか。その横で、男はなぜ、電球を見つめているのか。2人の関係は一体?と、まさしく先ほど述べたような、見てる人を煙に巻くような、謎がありありと顕れていたわけです。いやあ、最初このジャケットを見たときは、色々とこの人たちの音楽がどんなものか、想像しながら期待を膨らませたもんですね。

 

 

 

ということで、3回続いた「ジャケ買い」シリーズも、とりあえず今回でおしまいにします。「良いジャケット≒良い音楽」という式は、ほぼ85%以上成立すると思っています。この世には、アルバムの数だけ、ジャケット・デザインがあるわけで、その中で、自分が聴きたい音楽を、CDショップでジャケットだけを見て手に入れる、というのは、かなり度胸のいることだとは思うのですが、この情報過多の時代、簡単に音楽に関する様々な情報を手に入れることのできる環境にある現在だからこそ、シンプルに、ジャケットというものだけを通して、作り手とリスナーの対話がもっと生まれていけば、それは面白いことだな、と思う私でありました。